2018年9月25日火曜日

〇8-7(火) 長岡市栃尾「秋葉神社」

〇「天文20年(1551)常安寺の守護神として上杉謙信が岩野蔵王堂からこの地に遷座したと伝えられ、遠州秋葉山と共に秋葉信仰の二大霊山の一つとして有名です。祭神の秋葉三尺坊は厳しい修行の末霊験を示し、我名を唱えれば失火と延焼と一切の火難を逃がすと宣したことから火防の上として信仰されるようになり、江戸時代には全国から大勢の参詣者が集まりました。‥‥」
〇江戸時代、遠州秋葉神社が、栃尾の秋葉神社がお札を出すことに異議を唱えその差し止めを寺社奉行に訴え出た。それに対する裁決は、秋葉三尺坊の元来の修行地が栃尾、修業が成って広宣流布の地に選んだのが遠州秋葉山、故に栃尾の秋葉神社がお札御朱印を出すことに差し支えなしというもの。栃尾の秋葉神社には由緒と権威があるのだ。
↓秋葉三尺坊大権現(拝殿)


  ↓奥の院(本殿)





 ↓左・秋葉三尺坊大権現、右・奥の院
〇秋葉神社の別当寺になっているのが、岡の麓にある常安寺。

2018年9月24日月曜日

〇秋分の日の連休の時の旅の痕跡。最初の探訪地は「秋山郷」の奥里。その後は未定のまま出発。

9-21(金)「秋山郷」の入口・新潟県津南町を目指して午後出発。夕刻「道の駅信越さかえ」に到着。「さかえ」は栄村のこと。野沢温泉の北、津南町の南。秋山郷の入口は近い。ここに宿泊。
9-22(土)朝八時、秋山郷の奥里目指して突入。前回は大秋沢まで到達。しかし交差するのが難しい箇所が随所にある山道(それでも国道)に怖気づいて引き返してしまった。秋山郷探訪は二度とないと思っていたが、七重ちゃんの「どうせ隆ちゃんのことなら」のお見通しの通り僅か数ヶ月で雪辱戦に及ぶことに。来てみて知ったが、大秋沢までが越後の国(津南町)で、大秋沢を過ぎると「境橋」がありそれを渡ると信州(栄村)なのだった。そして実に意外で皮肉なことに信州に入った途端道路は二車線になりそれが秋山郷の奥の終点まで続いている安全道路だったのだ。小秋沢の次の上ノ原で絶景ポスターのモデルになっていた「天池」を発見した。ここから「鳥甲山」が見えるはずだがこの日は雨模様の曇で山は見えなかった。苗場山も見えなかった。絵の絶景スポットを発見できるかも知れない。紅葉の季節、天気の好い日を選んでボクはまた秋山郷を訪れることになるだろう。秋山郷に突入することにもう恐怖感はない。
午後今夏の旅に続いて魚沼市から福島県只見地方に再突入した(夏の旅は長岡市栃尾から只見町に入った)。車中で重文建造物を検索したところ会津地方の重文を8件ほど無視していたことが判明したので。以下今回探訪した重文建造物を列挙。
①南会津郡只見町「成法寺観音堂」
②南会津郡下郷町「中ノ沢観音堂」
この日はここまでで夕暮れたので「道の駅しもごう」で宿泊。
9-23(日)昨日に続いて会津地方の重文建造物巡り。
③会津美里町「常福院田子薬師堂」。美里町はその名の通り会津盆地の恵まれた農村地帯。黄金色に輝く美田が果て知れず広がりその背景に青い磐梯山が横たわっている。
④会津美里町「福生寺観音堂」
⑤西会津町「円満寺観音堂」
⑥会津若松市河東町「延命寺地蔵堂」。会津若松市の北郊外
⑦会津若松市河東町「八葉寺阿弥陀堂」
⑧喜多方市関柴町「勝福寺観音堂」
以上、会津盆地を縦横無尽に走破したことになる。これで従前探訪済みの件も含めて会津の重文建造物の虱潰し探訪は完結。午後一時半帰路に就く。出発当初の睡魔をブラックコーヒーで克服して無事七尾に到着。午後六時半。
明日の秋分の日休日を返上して何故帰還したかというと、ハリアーでの車中泊は窮屈で疲れて戦意が失せるから。足を思い切って伸ばせたセレナ時代が懐かしい。

2018年9月21日金曜日

〇敬老の日の連休のときの旅の痕跡を留めておく。吉野と伊勢路で古代史を紐解く。

9-14(金)雨。不慮の事故(人災)で前進できず。
9-15(土)雨・曇。奈良県吉野地方にある①丹生川上神社中社、②丹生川上神社上社、③丹生川上神社下社を目指したが、下道を走ったら時間を食ってとても探訪できそうもない。ので甲賀の奥里の「大鳥神社」「油日(あぶらひ)神社」に久し振りに寄った。櫟野寺(らくやじ)も近いのでついでに訪れれば三点セットとなって好かったが、この寺は何度も火を出して焼失しているので堂塔伽藍に見るべきものがないので寄らなかった。しかし仏像(平安仏)は凄い。重文が20体ほどもある。以前榛原(はいばら)からその南の菟田野(うたの)を走ったとき参拝し損なって悔やんだ「八咫烏(やたがらす)神社」に着いたので参拝。昔本殿は石製だったらしいが(だから小さかったろう)今は木造朱塗の春日造りの本殿。午後5時「道の駅宇陀路大宇陀」に到着。ここも何度もお世話になっている。
9-16(日)早朝から走り回って①~③の神社に参る。いずれも官幣大社(格は国幣大社の上)。それぞれ20~30km離れている。いずれも水神を祀る。古代には朝廷から95回も勅願を受けて雨乞い・雨止みの祈願をしたという。ところが吉野の道無き山奥に鎮座していたため平安中期には何処に鎮座しているのか分らなくなったそう。明治時代に探索が行われ先ず今の下社が吉野下市で発見され丹生川上神社と称された。次に今の上社も川上村で発見されて丹生川上神社上社と称され、下市で発見された神社は下社と称されるようになった。その後これぞ丹生川上神社と目される神社が東吉野村で発見され丹生川上神社中社と称されるようになった。こうして三社とも官幣大社に列せられた。三社を探訪した後伊勢市まで脚を延ばし伊勢鳥羽スカイラインに入り(料金1250円)朝熊山上の「金剛証寺」を訪れる。いつの頃からか伊勢神宮の東の鬼門を鎮める寺となった(京都の北東の鬼門を鎮護する比叡山延暦寺の如し)。古刹大寺。この夜は二見が浦で当てにしていた公園の駐車場が満杯で仕方なく伊勢道に入り「多気(たき)P」に入り込んで寝た。尾鷲方面と松坂方面に別れるJCTの手前。
9-17(月・敬老の日)松阪ICで下りて次の神社を探訪。①松阪市井口仲町「神麻続機殿(かんおみはたどの)神社」。②松阪市大垣内町「神服部機殿(かんはとりはたどの)神社」。③伊勢市二見町荘「御塩殿(みしおどの)神社」。いずれも伊勢神宮庁所管神社。祭神はおられぬ。その役割は読んだ名前の通り。伊勢神宮に麻織物・絹織物・塩を奉納する。①②の所在地は伊勢市二見町の隣。いずれの神社も平野の中に鬱蒼とした森に抱かれて存在しており遠目からそれと分る。④斎宮の森・遺跡・博物館を三重県明和町に探訪。伊勢市に近い。天皇の皇女が斎王として伊勢神宮に奉仕するために住まわれた斎宮は最盛期には官人が500名も仕えていたそうだが、平安時代に既に衰退し鎌倉時代には廃絶されたという。斎王が伊勢神宮に赴いて奉仕するのは年に僅か3回だったそう。帰路、懼れた通り東名阪道は渋滞の表示。初めてのことだが亀山から新名神道に入り草津JCTで名神道に入り更に米原JCTで北陸道に入って帰って来た。渋滞に遭わなかった。19時半帰宅。

2018年9月19日水曜日

〇8-9(木)山形県南陽市「熊野大社」

〇南陽市に「熊野大社」という大社がある。↓第一鳥居
 ↓参道。
 社叢に着く
 大イチョウ
 昇り参道。右側に摂末社が並ぶ
 本殿境内。鐘楼がある
 神楽殿
 〇本殿。その壮大なのに驚かされる



 ↓奥の摂末社
 本殿瑞垣と本殿
 中央・幣殿。左端が本殿拝門の屋根。風鈴の道があるのに留意
 〇風鈴の道。涼やかな音色に包まれる。
 本殿拝門
 本殿
 本殿
 中央・幣殿。左端・拝殿。右端に本殿がある
 宝物殿。木造と見えるので重文は多分ない。

2018年9月11日火曜日

〇8-9(木) 山形県高畠町「亀岡文殊堂」


  参道
 ↓参道脇に「亀岡文殊院別当寺・大聖寺」がある。
 本堂
 本坊
 ↓文殊院参道が続く

 ↓芭蕉句碑

 鐘楼。羅漢が居る


 文殊院本堂
 本堂側面
 本堂裏面
 清水
 ↓鎮守「蔵王大士」
  観音堂

 境内路端で拾った石。ここの地層の成り立ちを説明してくれそうなので持ち帰った。誰か説明して下さい。