2009年8月31日月曜日

帆船《日本丸》が七尾港に入港。

数日前から帆船《日本丸》が七尾港に入港している。その情報を聞きつけて昨日(日)早速カメラに収めてきた。


一昨日(土)、総帆展帆がなされて壮観だったそう。今日はもう出港している筈。
姉妹船として帆船《海王丸》が居るのは有名。富山新港《海王丸パーク》に引退した初代《海王丸》が恒久係留されている。5年ほど前に台風を避けるため伏木港で投錨中に、暴風波にアンカーが利かなくなって漂流し突堤に座礁する事故を起こしたのは2代目《海王丸》だそう。

このブログ、携帯で読むと頭痛がしますのでご注意を!

事務長が試しに携帯でこのブログを読んでみて顔をしかめた。どれどれと覗いて見ると、一見して読み難い(>_<)小さい画面にゴマメみたいに細かい字が詰まっている。とても読めたもんじゃない。これを読めと言われたら僕だって腹が立つ、怒る<`ヘ´>このブログを嫌う人と好んでくれる人の両方がいるのは、携帯で覗きに来る人とPCで開く人の両方がいるのに対応していると結論。携帯にはそれ向きの表現方法ノウハウがあるんだなぁ(-_-)だけど僕はPC専用ブログに徹します。そうでないと全然面白くない、書く値打がない。ということで携帯でアクセスする人は頭痛のする章が多いですから、適当にお付き合い下さい。(^O^)/

2009年8月28日金曜日

福見友子さん、大好きィ!


TVニュースに《福見友子》さんが、オランダ・ロッテルダムでの世界柔道選手権大会で金メダルを獲得したことが報ぜられた。画面に写し出された彼女の顔の素敵なこと!僕の大好きな顔・表情f(^_^;)。気・意志が強そうで、元気・俊敏そうで、お茶目そうで、可愛くて・・・絵になるなぁ!(^^)! 若々しくて、とても24歳には見えない。国内の世界選手権出場者選抜大会で《谷亮子》を決勝で破ったのに実績不足を理由に出場権を与えられなかったあの選手、苦節を経ている。僕はこれから《福見友子》ファンになるぞォ(^O^)/

2009年8月27日木曜日

チェロを弾く女性

「彩の会」のモデルさん、今日で満期釈放。絵は、泣いても笑っても今日で御仕舞。

2009年8月26日水曜日

瓢箪は漏るf(-_-;)

散歩道の畑に瓢箪の棚があり、瓢箪が鈴生りにぶら下がっている。ユーモラスな姿!(^^)!

坐っている姿もユーモラス。

ここで去年夏、事務長の山崎さんと奥琵琶湖・関ヶ原古戦場・南宮大社そして養老の滝を旅して、養老の滝の瓢箪専門土産店で瓢箪を買ったことを思い出した。

養老の滝は親孝行伝説で有名。孝行息子が滝に行くと水が馥郁とした酒に変わっていた、それを瓢箪に入れて家に持ち帰り老父に飲ませたという。店で形の好い瓢箪を選んで買った。
飾り紐は要らないと申し出たら、主(あるじ)がそれでは瓢箪に締まりが出なくて可哀想だと承知しなかった。裏の畑で自作してるそうで、育てた瓢箪の表面にニスを塗るのは自然の素材を台無しにするので素地のままにしてあるそう。主の申し様が一々気に入ったので、その瓢箪をアトリエの一角に坐らせて記念に大事にしておいた。或る日銘酒が手に入ったので、その瓢箪に盛って養老の滝の酒を気取ってみた。翌朝見ると、何と酒が瓢箪から漏れ出ていた。瓢箪は、防水塗装をしてやらないと洩るのだ。主は瓢箪の自然の素地が時の経過と共に醸し出す渋い色艶風合を愛でて欲しいらしいが、僕の頭には瓢箪は酒を盛る器というイメージが今も付きまとっている。それにしても農家の父ちゃんの作った瓢箪と専門家の育てた瓢箪は月とスッポンだねぇ。専門家のは、腰の縊れ具合が見事で、縊れの上下の丸味とそのバランスが絶妙で、しかも立ち姿の微妙な腰の捻り(アンバランス)がセクシーで堪ら~ん(^_-)-☆因みに値段の方は・・・3,000円だったかなぁ?



秋、立ちぬ!

裏山の《鶯》の鳴声がパッタリ止んだ。替わりに土手の草叢(くさむら)から虫の音が繁くなった、ギース・チョン・ギースと鳴く。あれは《キリギリス》。少年時代、あの虫の音の主を追って草叢に分け入り奏者を発見して摑まえたもの。さすがに今はそんな元気はない。耳を澄まして土手を行ったらキリギリスの死骸が足元に転がっていた、秋。

それにしても今夏は異常だった、長雨・日照不足。僕が三指に挙げる・夏を代表する花木(はなき)は《百日紅(サルスベリ)》《木槿(ムクゲ)

《夾竹桃(キョウチクトウ)》、それらいずれも今夏は貧相な花を付けて終わった。中でも百日紅は花色の綺麗さ(特に桃・赤色)・花房の豊満さ・花持ちの長さ(文字通り百日間咲き続ける)で一際目立つ夏の華なんだが、不発のままに終わろうとしていた。百日紅と言えば能登島・須曽の百日紅並木、ここの花の見事さは天下一品。それで先日ここを訪れてみたら一本だけ見事に咲き誇っていた。


今夏は、草花(くさばな)も貧相だった。例年土手道で僕の目を奪うのは《露草》が群生して咲くそのコバルトブルー(ペイル)の美しさ。それが今夏は寂しく咲いている。

土手沿いの《イチジク》《柿》の実も未だ青く小さくて数も少ない。今年こそ(辺りをキョロキョロしながら)一個もいで試食してやろうかなぁと思っていたが、こりゃダメやな(駄目で良かったかも)f(-_-;)


《ザクロ》も小さい。

しかしこの頃目立つ草花もある、《鉄砲百合》が氾濫中。

動物達の食欲は旺盛。これは《鯉》の口f(^_^;)




魚を狙う白鷺。

この御仁、

僕の事務所に棲息する哺乳類でダイエット中だがこの食欲。自分では「ヒト科」だと思っているらしいが「カバ科」説もある。僕は性格的に見て「ゾウ科」ではないかと思う。先日の昼、僕を誘って言うには「今日こそ(開店一月程経った)《すき屋デビュー》を果たしましょうf(^_^;)」やと。付き合ってやった。食欲の秋ィf(^_-)。

2009年8月21日金曜日

このブログ、評判悪~ぅf(-_-;)

僕に面と向かって「アンタのブログ、面白くない。文章長いし、難しいし…(だから見ない)」と言い渡してくれた猛女が立ち現われたから、標記の件は確かだろうてf(^^ゞただ、そう言われてもねぇ(-_-;)僕は人気を取るためにブログを始めた訳じゃぁないんでねぇ。面白さだけなら、密かにつけている僕の日記、こっちの方は絶対面白いぜ(*^^)v何せ書きたい放題だから辛辣至極・痛快無比。公開しようものなら物議を醸すf(~_~;)。秘密の日記の外にわざわざブログを書くのは“公開”する覚悟が生み出す緊張感がなかなか心地好いから。それと、好きな事や嵌っている世界について随筆随想的に発表するというのは己を知る好い機会になる。要するに僕は自分のためにブログを書いているのであって、他人(ひと)を楽しませよう、他人に認められようなどという魂胆はさらさらないf(-_-)。もっとも肝胆相照らす同好の人が現われてくれれば、人間として望外の喜びですけどね\(^o^)/。という訳でこのブログは今後とも、NHK教育TV高校講座調で行きますんで、民放TVお笑いタレント仕切り番組調のブログをお望みの方は覗かないように願いま~すm(__)m。なお、辛抱して読んでくれた人の苦情はどれだけでもお聴きしますのでご遠慮なくどうぞぉ(^O^)/追伸――このブログに《七重(ななえ)ちゃん》という素敵で不思議な読者がついてくれましたぁ!(^^)!七重ちゃ~ん!これからもヨロシクぅf(^O^)/

安曇野で槍ヶ岳、発見\(^o^)/

Sunday, August 16, 2009

08:00、ホテル発。好天、ご機嫌の女房から、権兵衛トンネルを抜けて木曾へ出るか(西進)、安曇野へ行くか(北上)、選択を迫られたが、どっちでも好かったので返答しなかった。今日は旅に出て初めての晴天。女房は「よし、山を見たいから」と勝手に決断して伊那谷を北上して松本を目指し始めた。よく分からない理由。

岡谷から山を越して松本平に下りる入口で穂高連峰、乗鞍岳を望見。松本盆地の東麓ルートで、常念岳の左に槍ヶ岳が見えることを女房が大発見して独りで感激。記念に槍の穂先を撮影してやった。


白馬連峰が丸見え。

女房は白馬村を走るのは久し振りだそう。富山平野に入ると湿気が多く立山連峰に雲が湧いて立山・剣岳は見えなかった。

16:00、帰還。家でゆっくり出来て好かった!(^^)!

2009年8月20日木曜日

チェロを弾く女性像――途中

夫婦水入らずになったら途端に土砂降りがぁf(-_-;)

Saturday, August 15, 2009

08:00、ホテル発。09:40、空港ロビー到達。

10:10、検査所前で三女と別れる(最後まで撮影禁止)、やれやれf(^_^;)。札幌便の出発は10:40

伊勢湾岸道路に乗り入れ、刈谷PAで「えびせんべいの里」を大量仕入れ。

女房が伊那谷飯田市の旧市街地探訪を提案、同意。

豊田JCTで東海環状自動車道に入る。土岐JCTで中央自動車道に入る。入る前から土岐~恵那間16km渋滞の表示。下道よりマシとの判断で突入。幸い渋滞気味ながら流れた。恵那を過ぎたら今度は飯田まで19km渋滞と出た。やっぱり流れた。飯田の市街地を走っていたら「元善光寺」の表示があったので気が変わり表示を辿ることに。郊外にあった。

「善光寺」の名は元善光寺の開祖「本田善光」の名に由来するんだとか。見事な百日紅の古木が二本。


「ホテルルートイン伊那インター」に着いたのが午後3時。直ぐに伊那市街へ散歩に出た、夫婦水入らずで、女房は日傘を差して。

市街地に入ったところで大粒の雨、やがて土砂降り。《みやま画材店》に逃げ込んで絵具を買い込んだ。それから日傘を相合傘にして近くの「養老の瀧」に行き一杯やった。後は伊那北駅前でタクシーを拾ってホテルに戻って、寝た。

2009年8月19日水曜日

旅先で親子喧嘩・・・してる場合か(`´)

2009/8/14(金) 
08:10「ホテルルートイン坂出」出発。写真は坂出港。

瀬戸大橋を渡る。

途中彦島PAに降りた。

中国に上陸。

写真は下津井漁港。

山陽自動車道をひたすら東進。早いこと!吹田JCTで近畿自動車道に入り、松原JCTで西名阪自動車道に入る。三女が斑鳩《中宮寺》の《弥勒半跏思惟像》に関心を示したので法隆寺ICで下りた。時に正午just。《中宮寺》は法隆寺東院(夢殿)の裏手で昔ながらの隘路が続き駐車場どころでない。行き過ぎたら意外にも《法輪寺》

《法起寺(ほっきじ)》

に行き着いた。写真は法起寺の国宝・三重塔。

僕は石川一水会の連中と《法起寺》に写生に来たことがある。小躍りして見学。《法輪寺》は家族三人一緒に見学したが《法起寺》は僕独り。法起寺見学に当たり三女が僕に対し手前勝手に時間制限を課した、それが5分間。その時間を無視したと言って三女が怒ること怒ること(>_<)。そのくせ昼食を摂るとき三女お気に入りのStarbucks Coffee店を探して1時間半も大和郡山界隈を走り回ったんだから訳が分らん。

ところで名張市は今日の宿泊地の伊勢街道・久居(ひさい)に至るコースの道中にある。それで僕が歴史ある名張の市街地の見分を提案し女房が賛成したが、運転していた三女が興味がなくて寄り道に不服。むくれてうるさいので僕は宣言した、「家族旅行はもう止める、今回限り(`´)」。

名張の街は想定よりも大きかった。開発区画された新市街地と隘路が不規則な旧市街地とが近鉄大阪線を挟んではっきり分かれている。新市街地は大阪・奈良のベッドタウン。人口は8万人を超している。伊賀の山中深くにこれだけの都市が存在しているのが不思議の感。「ホテルルートイン久居」到着、18:30。

2009年8月18日火曜日

災難がやはりやって来た。

2009/8/13(木)
旅程が(僕に無断で)大変更されていた。三女が15日午前中に中部国際空港から飛び立って札幌に戻ることになったので。今日(13)は四国・坂出で宿泊。明日(14)は伊勢街道の久居(ひさい)で泊まる。15()は三女を空港で見送ったあと夫婦だけの旅になり伊那で宿泊。16()に帰還。「しまなみ海道」はなし、南紀のパンダの楽園・那智の滝もなし。渋滞の中を殆どの時間ただハリアーに閉じ込められて過ごしそう。災難はやはりやって来る。

04:10、七尾発。夫婦・三女だけの三人旅。

08:00、京都岡崎着。

京都から南下、名神高速道が西宮を頭に40km渋滞の表示を見て、下道(したみち)を高槻・茨木・箕面・池田・伊丹と山沿いルートで神戸に出た。途中箕面の大スーパーの駐車場でのこと、僕がカメラを提げて出ようとすると三女が「カメラを置いて出て(`´)、絶対(私を)写さないで<`ヘ´>」ときついお言葉。僕はこれを境目にむかっ腹をずっと立てている、家族の記念写真を残す楽しみがなければ誰がこんな雪隠詰め旅行に四日間も付き合うか(`´)

神戸市街西端の須磨駅に到達したのが13:00

須磨から明石海峡大橋の入口のある垂水区に至る間は山が海にせり出している。源平の《一の谷の合戦》があった所。この間が本格的な渋滞。垂水区にやっと辿り着き愈々明石海峡大橋に入った。



淡路島に上陸し「道の駅あわじ」で一服、僕はやっと外に出て念願の写真撮影。遺憾なことに明石大橋は靄の中。



明石蛸(多分)を食した。

洲本ICで降りて洲本市街地を見分して回った(僕の発案。三女は無意味だと不満顔)。想像よりも小さかった。都会と言うよりも田舎町。この小さな町の高校球児達が昭和28年春の選抜高校野球大会に初出場し鬼神に取り憑かれたように打ちまくりあれよあれよと言う間に全国制覇を果たしたとはちょっと信じ難い。

鳴門大橋を渡り四国に上陸。

高松自動車道を西進、斑(まだら)渋滞に遭いながら坂出へ。計画では高松で下りて有名な讃岐うどんを食する筈だったが、観光案内書に載っているうどん店はどこも早朝に営業開始し午後4時には閉店するらしいので断念。高松市街を通過中《屋島》を望見。これでも火山(粘着性のないドロドロの溶岩)。源平の《屋島の合戦》の舞台。

坂出到着は17:40