2009年12月30日水曜日

12/28(月)足摺岬。12/29(火)佐田岬。

昨夜はeメールの届かない所で寝た。高知県宿毛市の「道の駅・すくも」。腐った道の駅やなぁと思いながらも疲れていたので泊まった。朝目覚めて辺りを散歩してみたら海辺の景色の最高に好い特等席だった。好い所に泊めて貰ったんやぁf(^_^;)。昨日の顛末を略記しておくと、朝07:30起き、08:00「道の駅・かわうその里すさき」出立。「四万十町」(旧窪川町ほか)、「四万十市」(旧中村市ほか)経由で足摺岬へ。道の駅・窪川の情報館で入手した四万十町の地図を眺めていて一旦方針を変えた。四万十町の中心・窪川で国道56号線(高知市から旧中村市に直通)を離れ、窪川を流れる四万十川が西に流れるのに沿って山中を曲々縫っていく県道を行こう、そして四万十川が直角に向きを変え南下していくのに沿って走って河口の旧中村市に至ろうと。それほど僕は清流・四万十川を高く買っていた。ところが新方針を実行してみたら四万十川もただの川の流れであることを知った。幾ら清流でも風景としてはただの地面の溝。面白くも何ともない。この川に沿う道を走り続けても空しい。僕はそう直感して直ちに国道56号線に引き返した。新方針の駄賃は、窪川市街地に所在する四国37番札所「岩本寺」に参詣できたこと。それから四万十市(旧中村市)で四万十川を渡り、国道56号線と分れて足摺岬へ。そこから土佐清水市までの道のりがまた長い。ようように土佐清水市街地に到着。いよいよ足摺岬へ向かい半島中央部を貫くスカイラインを走ったがこれが難路。足摺半島の山々は高く四百数十mの峰々が連なる。やっと着いた足摺岬の集落・観光街は意外に大きい。四国38番札所「金剛福寺」に参詣。37番「岩本寺」から38番のこの寺まで86km余もある。お遍路さん泣かせだろう、足で三日もかかる行程。この後、足摺岬の突端に到達。灯台の写真を撮った。帰り道は半島西海岸沿いの旧道、これが悪路。土佐清水に戻り、西進して「竜串海岸」を目指した。が、竜串に着いてもお目当ての海岸を発見できず、四苦八苦の末にとんでもない「遊歩道」を発見。岩伝いに道なき道を辿るというもので、余程好きで志がなければ決して挑戦しそうもないマニアックな遊歩道。僕は一目ですっかり魅了された。海に棲む大芸術家がそこの海岸で気の向くままに腕を振るい一仕事したとしか思えない野趣豊かな作品が雄渾に展開されているという感じ。僕は時の経つのも忘れてアッチこっちコッチあっちと岩の上を跳び回った。お蔭で夕暮れて次の行き先がパアになった、次の予定の大月海岸もなかなかのものらしかったが。宿毛の道の駅に着いたらもう六時過ぎ、すっかり暗かった。

12/29 今朝は07:30起き、08:00出立。宇和島・八幡浜を経由して「佐田岬」まで行ってきた。佐田半島は伊予・松山の西にあり、九州の別府・佐賀関の方にひょろ長く飛び出て延びている、本当にひょろひょろと長い半島、そのひょろ長(なが)形の不思議は一種の奇跡。その先端に「佐田岬灯台」がある。その灯台の写真を撮ってきた。そうそう佐田岬ならではの二つの出会いがあった。一つは素敵なミカン売りのおばあちゃん、もう一つは野生のイノシシ(o)。後で余裕があったら二つの出遭いのことを書こう。四国は昨日も今日も天気が好かった、付いている。植生が北陸と全然違う、こちらの山は常緑照葉樹が生い茂って冬の今も青々としている。今日伊予柑畠を初めて見た。絶壁の様な山の斜面で栽培している。夕方備後国・福山駅で女房と落ち合えた。待ち合わせ時間に遅れそうなので夕暮れの中「しまなみ海道」の醍醐味を味わう余裕もなくただ島々を伝う連絡橋の上を突っ走るだけ。結局僕が30分ほど遅れたけれどとにかく無事落ち合った。女房は晩九時過ぎにはもうセレナの中で寝袋に収まり鼾を掻きだした、達者で長生きするタイプ。明日からは九州に入る、そして二人旅になる。九州はあちこち温泉が多い、道の駅も温泉付きの施設が沢山ある。女房は風呂が大好きだから研究しているらしい、二人旅となるとこれからは僕も温泉の湯に毎日浸かって極楽な年末年始を過ごせるかも。とにかく僕が清潔な人間に生まれ変わるのは間違いないf(-_-;)。今夜セレナが夜明かしする場所は、広島県内の山陽自動車道「小谷(こだに)SA」。写真は四国入りしてから撮り過ぎて整理がつかないので後日に掲載。

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