2010年11月22日月曜日

11/22(月)琵琶湖堅田「浮御堂」、比叡山「延暦寺」

朝目覚めると、セレナの窓ガラスに雨粒がビッシリ付いている。写生は無理。比叡山に登り、前回の探訪で見落とした堂宇を見学することに。特に今回無動寺谷に初めて足を踏み入れる。
琵琶湖大橋袂の道の駅を出発したら、間もなく「浮御堂」の案内標示が目に入った。とっさにコースを折れた。満月寺・浮御堂、今や湖岸からは見えない、現地の寺の境内から見るしかない。風流だったのは昔の話。堅田から仰木道が奥比叡に通じている。この道を辿って延暦寺に登った。奥比叡ハイウェイは紅葉の盛り、それは見事な紅葉だった。素晴らしい紅葉は横川まで。西塔・東塔あたりに来ると大したことはない。比叡の山上は今回もひどい靄の只中。横川は前回見落とした「根本如法塔」を見るために寄った。紅葉に溶け込んだ如法塔は幻想的に美しかった。西塔では「椿堂」と「相輪塔」「みろく石仏」を見落としていたので寄った。見学を果たした。が、感動はない。東塔は、前回靄がひどくて写真になっていなかったので挽回を期したんだが、同様の靄。無動寺谷へは東塔から下って行く。延暦寺は山上に「延暦寺消防隊」を独自に組織している、赤いポンプ車とジープが各一台。その消防隊の前の道を辿る。てくてく行くとやがて坂本ケープル「延暦寺駅」に着く。駅の横に鳥居が建ちそこに「無動寺参道」が口を開けている。延々と下る、帰路を思って気が重い、足も重い。吾輩は心臓患者。鳥居は弁財天堂のものらしい。四つ目の鳥居を潜り弁財天堂にようようにして到着。そこから不動「明王堂」は近かった。この明王堂は只者じゃない。有名な比叡山の回峰行はこの明王堂を根拠地にする。行者は不動明王の化身となり不動明王を擬した衣装で回峰する。明王堂は絶壁の上に建っている。この堂の下を行くと「大乗院」がある。親鸞上人が居住した所という。親鸞の修行地は西塔の「にない堂」の隣地にもある。大乗院を下ると「玉照院」があり、そこに行き着くと道らしきものは途絶える。吾輩は遂に道を極めた。付近の山中に分け入ると紀貫之の墓があるそうだが、吾輩の足というか心臓ではとてもとても(>_<)。そしていよいよ地獄の帰還・長い上り坂が待っていた。が、来るときに空想の中で地獄の苦しみを既に味わい尽くしていたせいか意外と楽に、休み休みながら東塔に帰り着いた。すると霧がやや晴れたので急いで東塔の堂宇の写真を撮った。中でも朱塗りの阿弥陀堂と如宝塔のコラボ写真を撮れたのは望外。山上を歩きながら明日の予定もほぼ立った。明日は絵を描こう、若狭地方に転地しよう。それで奥比叡ハイウェイを元来た様に辿り仰木道も来たままに戻りまた堅田に出て、それから北上し高島市の「道の駅・藤樹の里あどがわ」に入った。高島は「中江藤樹」の出身地。電波を飛ばしたら一発で接続したのでここが今夜の宿となった。亀岡の西隣「南丹病院」勤務の二女にメールをいれ、明日の親子再会はキャンセルに。問題は明日天気が回復するかどうかということと、絵になる所があるかということ。問題あり過ぎぃ(>_<)、前途は険しいf(*_*;

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