2011年12月10日土曜日

〇12/6(火)京都嵯峨野の散歩

二尊院と常寂光院の間を散歩した。京・嵯峨野の好さが今も残る道で優しい気持ちになる。正面が嵯峨天皇の皇女「有智子内親王」の墓、右が「落柿舎」。 ↓落柿舎 (以下Wikiによる)落柿舎は京都市嵯峨野にある松尾芭蕉弟子向井去来の別荘として使用されていた草庵。去来がこの草庵について書いた「落柿舎ノ記」がある。古い家の周囲には40本の柿の木があったという。庭のを売る契約をしたのちに、柿がすべて台風で落ちてしまったためこう呼ばれている。 1691年(元禄4年)4月から5月までここに松尾芭蕉が滞在して嵯峨日記を著した。野沢凡兆(ぼんちょう)、凡兆の妻の羽紅(うこう)、去来が訪ねてきて一つの蚊帳で5人が一緒に寝たりしている。 現在の庵は俳人井上重厚による再建である。場所も建物も芭蕉の時代のそれとは異なっている。

小倉山。あの「小倉山百人一首」の小倉山。


落柿舎の後方道端に「西行井戸」が残っていた。


二尊院の山門を潜ると直ぐに「西行法師庵の跡」があった。


「我がものと秋の梢を思うかな小倉の里に家居せしより」


櫻の馬場の入口にある。吾輩は最近「西行」の足跡と歌に関心を抱いている。いつかまとまった休日に九度山・天野の里を探訪してみようと思っている。西行は出家流浪の旅に出てそのうち高野山に入り永くそこに留まった。捨てられた妻と娘はそうと知って女人禁制の高野山の入口に当たる天野の里に庵を結んで生涯を送った。西行は天野の里の妻子の許を訪れたことがあるらしい。天野の里は「丹生津姫神社」のあるところ。


散歩道に綺麗なモミジがあり、その紅と黄色の対比が美しかったので撮った。

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