二尊院と常寂光院の間を散歩した。京・嵯峨野の好さが今も残る道で優しい気持ちになる。正面が嵯峨天皇の皇女「有智子内親王」の墓、右が「落柿舎」。 ↓落柿舎 (以下Wikiによる)落柿舎は京都市嵯峨野にある松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘として使用されていた草庵。去来がこの草庵について書いた「落柿舎ノ記」がある。古い家の周囲には40本の柿の木があったという。庭の柿を売る契約をしたのちに、柿がすべて台風で落ちてしまったためこう呼ばれている。 1691年(元禄4年)4月から5月までここに松尾芭蕉が滞在して嵯峨日記を著した。野沢凡兆(ぼんちょう)、凡兆の妻の羽紅(うこう)、去来が訪ねてきて一つの蚊帳で5人が一緒に寝たりしている。 現在の庵は俳人井上重厚による再建である。場所も建物も芭蕉の時代のそれとは異なっている。
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