〇不退寺由来 大同4年(809)平城天皇御譲位の後、この地に「萱の御所」を造営せられ、阿保親王(平城天皇の皇子)の没後その皇子であった在原業平朝臣が承和14年(847)仁明天皇の詔を奉じて旧居を精舎とし父親王の菩提を弔うと共に本尊聖観音像を安置して衆生済度のために「法輪を転じて退かず」と発願し、不退転法輪と号し、略して不退寺(業平寺)と称した。
↓京都方面から奈良市街に入ったばかりの地点にある。重文・南大門(鎌倉時代)が見えてきた。
南大門前に駐車しているセレナ。今は懐かしい。南大門を振り返る
↓重文・本堂(室町初期)
↓この日は本堂の重文仏像が開帳されていた。
重文・聖観音菩薩立像。リボンを結んだように見える可憐な菩薩像として有名。
↓重文・五大明王像。真言律宗(密教)の寺らしい。
↓南大門を見る
↓重文・多宝塔(鎌倉時代) 多宝塔だが上層部が失われている。
↓重文・石棺(古墳時代)