2017年1月3日火曜日

〇正月三日目にして思うこと。

〇正月も三日目の夕暮れを迎えた。思えば年末年始と家から一歩も外に出ず横になったまま過ごした。それで気楽。70歳を越して体力気力がはっきり衰えをみせた。特に脳力の老化が目立つ。中でも記憶力の減退が著しい。言葉・概念・名詞を急速に失いつつある。考えることが億劫になる元はここにある。正月三日目にしてそろそろ反省しなければ今年一年このまま記憶力の老衰に脳を任せることになり取り返しのつかない一年になるとの自覚が生じた。この自覚が生じただけでもまだ救えるかと思える。それにしても西部邁(にしべすすむ)氏の記憶力には恐れ入る。氏は76歳だがその並外れた記憶力は衰えを知らない。脳力ほど加齢差が開くものはなかろうが、神童というモノがあるように神老人(かみろうじん)というモノもあろうに、氏は正に神老人だ。これは天賦の脳力で羨ましがるべきものではないが、認知症の奈落にみすみす引きずり込まれて為す術も無くなるその前に精一杯の抵抗を試みて名誉の戦死を遂げたいものである。記憶力を失っていくことに対してどのような戦い方があるのか、明日から考えていこう。
〇記憶力の減退とは、生理・病理学的には海馬をはじめとする脳細胞の減少だが、現象学的には記憶体系の弛緩と記憶喚起の手掛かりの喪失。記憶力減退戦線での戦い方は、脳細胞の死滅をできるだけ防禦すること、減少した脳細胞を元に記憶体系の再構築・記憶喚起の手掛かり創出に勤しむこと。後半は記憶術の工夫そのもの。

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