2017年10月24日火曜日

〇4-2(日)京都府木津川市加茂「御霊(ごりょう)神社」重文本殿。旧燈明寺跡

〇南山城の京都府木津川市は文化財の宝庫だが、中でも「御霊神社」は目を瞠らされる。
↓石段を登った先に見えるのが、御霊神社本殿

 ↓正面中央が本殿
 ↓「重要文化財・燈明寺本堂跡」 御霊神社の前や横に「旧燈明寺」の堂宇跡がある。御霊神社は、旧燈明寺の鎮守社だった。

 ↑↓かつてここに旧燈明寺の本堂が建っていた。大正10年(1921)に重文に指定された。
 この本堂は、寺伝では康生3年(1457)頃に建てられたとされているが、建築史的には室町時代初期頃の建立と考えられている。20世紀になって本堂は次第に荒廃していったが、昭和23年(1948)頃の台風で壊滅的な被害を受けた。その後は解体して、建物の部材はここで永く保管されていたが、昭和26年に横浜市の三溪園に寄贈され、翌年から移築修復工事に着手し、昭和62年に竣工した。三溪園ではほぼ創建時に復元された本堂を見ることができる。
 〇三溪園の重文・本堂

 ↑↓「燈明寺型石燈籠」は有名で、各所の古刹で時々見受ける




 ↓蓮華文

 ↑↓御霊神社は元燈明寺の鎮守社。重文・本殿は、奈良氷室神社の古社殿を移築したと伝えられる。南北朝期創建の三間社流造・檜皮葺。
 〇祭神は、奈良・平安時代に怨霊として恐れられた人たちが祀られている。
崇道(すどう)天皇(早良(さわら)親王)。井上内親王・他戸(おさべ)親王・藤原吉子。文屋宮田麻呂・橘逸勢(たちばなのはやなり)。吉備真備(きびのまきび)・火雷(ほのいかづち)神(菅原道真)





 〇旧燈明寺三重塔跡があるというので訪ねる


 ↑↓この高台に元の燈明寺の鐘楼があった。この南に重文・三重塔があったそう。三重塔は横浜市の三溪園に移築されて今も現存。
 〇三溪園に移築された重文・三重塔
 ↓鐘楼跡から見た御霊神社
 〇重文・本殿



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