〇「縣社 油日神社」
↓「油日神社は南鈴鹿の霊宝油日岳の麓に鎮座する古社で、古くは油日岳を神体山とし、社伝では頂上に大明神が降臨して、油の火のような光明を発したことから油日の名が付けられたとされ、山頂には岳大明神が祀られています。油日大明神を主神とし、罔象女命(みずはのめのみこと)、猿田彦命を祀り、「日本三代実録」によれば、平安時代の元慶元年(877)の条に「油日神」が神階を授かったことがみえます。室町時代に作成された「油日大明神縁起」には、聖徳太子によって勧請された由来が説かれ、「聖徳太子絵伝」をはじめ、太子の本地である如意輪観音の懸仏や「聖徳太子絵伝」が所蔵されており、中世には甲賀武士たちが聖徳太子を軍神として崇めるとともに、「甲賀の総社」として信仰されていました。明応4年(1495)に建てられた本殿は、近隣の多くの武士たちが力を合わせて寄進したもので、戦国時代には、油日神社が甲賀衆たちの拠り所となっていたことが分かります。こうした甲賀武士たちの崇敬は現在の祭礼行事にもあらわれています。例えば、五年に一度執り行われる油日祭の奴振(やっこぶり)では、上野の頭殿(とうどう、殿様)が奴を伴って油日神社に社参しますが、これもかつての甲賀武士たちの姿を伝えるものです。また、国の史跡である境内には、南北に本殿・拝殿・楼門が建ち並び、楼門の左右からは境内を囲むように廻廊が延びています。いずれも国の重要文化財の指定を受けた建造物で、中世の神社景観を今に伝える貴重な文化財となっています。」
↓楼門・重文
↓内側から見る
↓拝殿・重文
↓神饌所だろう
↓本殿・重文
↓左右の回廊・重文
↓摂・末社
↓摂末社の隣に御堂がある。これは仏堂だろう。神仏習合の名残だろうが、社殿として残されたか。
〇神社の風格は縣社に止まるような低いものではない。立派な官幣社の風格。ただ祭神が「油日大神」という一地方神だったので社格が上がらなかったと見える。
〇重要文化財
本殿(附・棟札15枚) 明応2年(1493)建立。
拝殿 桃山時代建立
楼門(附・棟札3枚) 永禄9年(1566)建立
廻廊2棟 永禄9年(1566)建立
↓祭礼行事「奴振(やっこぶり)」