コンクリート杭の上に載っていたんじゃぁ風情が無いなぁf(*_*;
2010年11月25日木曜日
11/23(火・勤労感謝の日)、高島水鳥観察センター、小浜市 瓜割の滝・羽賀寺
道の駅の夜明けは期待に反して雨模様。落胆しながらも出発。湖西の岸辺に面白そうな風景を想像させる木立を発見、とっさに道を折れて湖岸へ。高島水鳥観察センターがあった。高島市は旧今津が中心街、ここはその今津の手前の湖岸。琵琶湖にはもう絵になる風景は残っていないと思い込んでいたら、湖北にはまだある。向かいに竹生島が見える所。湖面に浮かぶ水鳥の仰山さに驚かされる。数の多い順に列挙すると、モンハジロ・キンクロハジロ・マガモ・オオバン・オナガガモ・コハクチョウ。センターに200円で入館すると、望遠鏡と図鑑を貸してくれるので物知りになる。湖岸を散歩、絵になる風景が確かにある。だが北風が強くて寒かった。写生を断念して若狭国・小浜へ。黒川宿で昼食。本格的な雨。小浜の手前に「瓜割(うりわり)の滝」の案内が出たのでとっさに道を折れて探訪。近かった。夏でも瓜が割れるほど冷たいんだそう。滝というよりも小渓流。

さらに小浜に近づくと「多田寺」の案内が出たのでまたとっさに道を折れた。重文の仏像を拝むつもりだったが拝観させてくれるのかはっきりしない雰囲気だったので止めて、羽賀寺へ。ここの十一面観音像には何としてもお目にかかりたかった。元正天皇(女性)の似姿像だという伝承。遂に拝顔。

小浜では久須岳に登り眼下の雄大な秋景色を絵にしようと思っていたが、雨天で光が暗くまた山の色がくすんでしまって絵にならない。登山を断念し港のフィッシャーマンズワーフに行き「蘇洞門(そとも)」観光船に乗ろうとしたら、天候不順のため欠航。浜焼鯖・握り鮨(2パック)を買った時点で明日の天気に失望し七尾に帰ることに。女房と晩食を一緒に摂りたくなった。敦賀で北陸道を上るか下るかちょっと迷ったが下り線に。久し振りにアトリエの布団に収まった。セレナの中よりも寝つきにくいのには困ったf(~_~;)
さらに小浜に近づくと「多田寺」の案内が出たのでまたとっさに道を折れた。重文の仏像を拝むつもりだったが拝観させてくれるのかはっきりしない雰囲気だったので止めて、羽賀寺へ。ここの十一面観音像には何としてもお目にかかりたかった。元正天皇(女性)の似姿像だという伝承。遂に拝顔。
小浜では久須岳に登り眼下の雄大な秋景色を絵にしようと思っていたが、雨天で光が暗くまた山の色がくすんでしまって絵にならない。登山を断念し港のフィッシャーマンズワーフに行き「蘇洞門(そとも)」観光船に乗ろうとしたら、天候不順のため欠航。浜焼鯖・握り鮨(2パック)を買った時点で明日の天気に失望し七尾に帰ることに。女房と晩食を一緒に摂りたくなった。敦賀で北陸道を上るか下るかちょっと迷ったが下り線に。久し振りにアトリエの布団に収まった。セレナの中よりも寝つきにくいのには困ったf(~_~;)
2010年11月22日月曜日
11/22(月)琵琶湖堅田「浮御堂」、比叡山「延暦寺」
朝目覚めると、セレナの窓ガラスに雨粒がビッシリ付いている。写生は無理。比叡山に登り、前回の探訪で見落とした堂宇を見学することに。特に今回無動寺谷に初めて足を踏み入れる。
琵琶湖大橋袂の道の駅を出発したら、間もなく「浮御堂」の案内標示が目に入った。とっさにコースを折れた。満月寺・浮御堂、今や湖岸からは見えない、現地の寺の境内から見るしかない。風流だったのは昔の話。堅田から仰木道が奥比叡に通じている。この道を辿って延暦寺に登った。奥比叡ハイウェイは紅葉の盛り、それは見事な紅葉だった。素晴らしい紅葉は横川まで。西塔・東塔あたりに来ると大したことはない。比叡の山上は今回もひどい靄の只中。横川は前回見落とした「根本如法塔」を見るために寄った。紅葉に溶け込んだ如法塔は幻想的に美しかった。西塔では「椿堂」と「相輪塔」「みろく石仏」を見落としていたので寄った。見学を果たした。が、感動はない。東塔は、前回靄がひどくて写真になっていなかったので挽回を期したんだが、同様の靄。無動寺谷へは東塔から下って行く。延暦寺は山上に「延暦寺消防隊」を独自に組織している、赤いポンプ車とジープが各一台。その消防隊の前の道を辿る。てくてく行くとやがて坂本ケープル「延暦寺駅」に着く。駅の横に鳥居が建ちそこに「無動寺参道」が口を開けている。延々と下る、帰路を思って気が重い、足も重い。吾輩は心臓患者。鳥居は弁財天堂のものらしい。四つ目の鳥居を潜り弁財天堂にようようにして到着。そこから不動「明王堂」は近かった。この明王堂は只者じゃない。有名な比叡山の回峰行はこの明王堂を根拠地にする。行者は不動明王の化身となり不動明王を擬した衣装で回峰する。明王堂は絶壁の上に建っている。この堂の下を行くと「大乗院」がある。親鸞上人が居住した所という。親鸞の修行地は西塔の「にない堂」の隣地にもある。大乗院を下ると「玉照院」があり、そこに行き着くと道らしきものは途絶える。吾輩は遂に道を極めた。付近の山中に分け入ると紀貫之の墓があるそうだが、吾輩の足というか心臓ではとてもとても(>_<)。そしていよいよ地獄の帰還・長い上り坂が待っていた。が、来るときに空想の中で地獄の苦しみを既に味わい尽くしていたせいか意外と楽に、休み休みながら東塔に帰り着いた。すると霧がやや晴れたので急いで東塔の堂宇の写真を撮った。中でも朱塗りの阿弥陀堂と如宝塔のコラボ写真を撮れたのは望外。山上を歩きながら明日の予定もほぼ立った。明日は絵を描こう、若狭地方に転地しよう。それで奥比叡ハイウェイを元来た様に辿り仰木道も来たままに戻りまた堅田に出て、それから北上し高島市の「道の駅・藤樹の里あどがわ」に入った。高島は「中江藤樹」の出身地。電波を飛ばしたら一発で接続したのでここが今夜の宿となった。亀岡の西隣「南丹病院」勤務の二女にメールをいれ、明日の親子再会はキャンセルに。問題は明日天気が回復するかどうかということと、絵になる所があるかということ。問題あり過ぎぃ(>_<)、前途は険しいf(*_*;
琵琶湖大橋袂の道の駅を出発したら、間もなく「浮御堂」の案内標示が目に入った。とっさにコースを折れた。満月寺・浮御堂、今や湖岸からは見えない、現地の寺の境内から見るしかない。風流だったのは昔の話。堅田から仰木道が奥比叡に通じている。この道を辿って延暦寺に登った。奥比叡ハイウェイは紅葉の盛り、それは見事な紅葉だった。素晴らしい紅葉は横川まで。西塔・東塔あたりに来ると大したことはない。比叡の山上は今回もひどい靄の只中。横川は前回見落とした「根本如法塔」を見るために寄った。紅葉に溶け込んだ如法塔は幻想的に美しかった。西塔では「椿堂」と「相輪塔」「みろく石仏」を見落としていたので寄った。見学を果たした。が、感動はない。東塔は、前回靄がひどくて写真になっていなかったので挽回を期したんだが、同様の靄。無動寺谷へは東塔から下って行く。延暦寺は山上に「延暦寺消防隊」を独自に組織している、赤いポンプ車とジープが各一台。その消防隊の前の道を辿る。てくてく行くとやがて坂本ケープル「延暦寺駅」に着く。駅の横に鳥居が建ちそこに「無動寺参道」が口を開けている。延々と下る、帰路を思って気が重い、足も重い。吾輩は心臓患者。鳥居は弁財天堂のものらしい。四つ目の鳥居を潜り弁財天堂にようようにして到着。そこから不動「明王堂」は近かった。この明王堂は只者じゃない。有名な比叡山の回峰行はこの明王堂を根拠地にする。行者は不動明王の化身となり不動明王を擬した衣装で回峰する。明王堂は絶壁の上に建っている。この堂の下を行くと「大乗院」がある。親鸞上人が居住した所という。親鸞の修行地は西塔の「にない堂」の隣地にもある。大乗院を下ると「玉照院」があり、そこに行き着くと道らしきものは途絶える。吾輩は遂に道を極めた。付近の山中に分け入ると紀貫之の墓があるそうだが、吾輩の足というか心臓ではとてもとても(>_<)。そしていよいよ地獄の帰還・長い上り坂が待っていた。が、来るときに空想の中で地獄の苦しみを既に味わい尽くしていたせいか意外と楽に、休み休みながら東塔に帰り着いた。すると霧がやや晴れたので急いで東塔の堂宇の写真を撮った。中でも朱塗りの阿弥陀堂と如宝塔のコラボ写真を撮れたのは望外。山上を歩きながら明日の予定もほぼ立った。明日は絵を描こう、若狭地方に転地しよう。それで奥比叡ハイウェイを元来た様に辿り仰木道も来たままに戻りまた堅田に出て、それから北上し高島市の「道の駅・藤樹の里あどがわ」に入った。高島は「中江藤樹」の出身地。電波を飛ばしたら一発で接続したのでここが今夜の宿となった。亀岡の西隣「南丹病院」勤務の二女にメールをいれ、明日の親子再会はキャンセルに。問題は明日天気が回復するかどうかということと、絵になる所があるかということ。問題あり過ぎぃ(>_<)、前途は険しいf(*_*;
2010年11月21日日曜日
11/21(日)近江八幡、西の湖、野洲の銅鐸博物館・錦織寺・兵主大社
今「道の駅・びわ湖大橋米プラザ」に居る、電波が一発で通じたので気を良くして今夜はここで泊まる。今日は遺憾なことに絵を描きそびれた。朝、近江八幡市街に入り近江商人の旧宅街・日牟礼八幡神社と探訪し、お目当ての「八幡堀(はちまんぼり)」の岸端の遊歩道を歩いたら黄葉と橋と水面の取り合わせが絵になっていた。が、道具はセレナに積んだまま、先ず取材探訪をしようとカメラを肩に身軽に出掛けて来たので取りに戻らねばならない。市営駐車場に入れたんだが駐車係が何人もいて睨まれそう、時間無制限で500円、ちと高いから一日占拠してもいいだろうと思うが観光日和で車の出入りが激しい割に収容能力が低いのでつい気兼ねしたら億劫になった。それに温か過ぎて体がだるくなって気持もだらけてf(*_*; 黄葉の時節、八幡堀は絵になることが分っただけでも収穫と言い訳して近江八幡を後にした、もう11:30頃だったかな。次のお目当ては近隣の「西の湖」、住民の自称では日本一の水郷地帯。ここにただ一つ絵になる地点があるんだが、遺憾なことにそこは危ないf(~_~;)。歩道がなくて路側帯だけ、それが狭くてイーゼルも椅子も車道にはみ出す。まさかはねられることはないと思うが、結構交通量が多いから分らない。パトカーが来ようもんなら必ず摘発される、「ちょっとちょっとそこのオタクぅ、交通の邪魔ッ<`ヘ´>それに身が危険でしょう。即撤収しなさい(`´)」。絵を描き出したらパトカーが来そうな気がして断念f(-_-;)。西の湖界隈を走って野洲へ。野洲では収穫が多かった。先ず銅鐸博物館の案内表示を発見して入館、200円と安いのに立派な施設で中身も充実。近くの大岩山から出土した銅鐸は何と24個も、中には日本最大、身の丈1m34cmのもある。最近銅鐸に関心が出ていたのでjustタイミング!(^^)! それから「錦織寺(きんしょくじ)」に詣でた。豪壮な大寺。名さえ知らなかったが、浄土真宗八宗派の一つ「木部(きべ)派」の総本山。これで本山四つに詣でたことになる。本願寺派=京都・西本願寺、大谷派=京都・東本願寺、興正(こうしょう)派=京都・興正寺(ここに京都の従姉が嫁に行っている、もうおばあちゃんで坊守を引退しているはず)、木部派=野洲・錦織寺。残りの本山は全部福井県に在る。鯖江に二つ、あとは福井と武生に一つずつ。福井県は近いから全本山を詣でることが期せずして射程に入った。錦織寺のあとは「兵主(ひょうず)大社」に参詣。庭園巡りが500円と高い。この神社も名さえ知らなかった。が、大社の名にし負う神社。八千矛の神=大国主の命を主祭神とする。延喜式内社で「名神大社」。野洲は古代から人文の豊かに展開した地域なのだということを半日かけて学んだf(~_~;)。明日は天気が崩れるらしい、やっぱり今日頑張って描いておくべきだったなぁ(+_+)。
2010年11月20日土曜日
11/20(土)、滋賀県「余呉湖」で写生
登録:
投稿 (Atom)
