2011年3月9日水曜日

3/5(土)、京都御所・御苑

相国寺を後にして同志社大学の正門の前から今出川通りを渡り、向かいの今出川門から京都御苑に入った。京都御所の北門「朔平門」が見えてきた。朔平門
御所の土塀の西側。門は「御台所門・皇后門」
「清所門」、御所西側。皇宮警察が検問している。事前許可を得た者しか見学できない。
「宜秋門・公卿門」。御所の西側南端
御所の西南角にある「清水谷家の椋(むく)」
御所南側から見た「建礼門」
「建礼門」。御所の南側
「日御門」。御所の東側南端
以上が御所の門のすべて
建礼門のさらに南、御所の南東方面に「大宮御所」「仙洞御所跡」がある。ここも皇宮警察が検問していて事前許可を得た者しか入れない。
門前から中を撮影
閑院宮邸跡に展示してあった御所・紫宸殿の写真
以下は、御苑に生えていた面白い木
これは巨木ぶりが圧倒的
この松の枝ぶりはケッタイ
見事な紅梅
このニョキニョキぶりは何だ。
どう見てもしっかりハグしている
蛤御門の内側。吾輩が御所に足を延ばしたのは、幕末動乱期に長州藩が朝敵の立場に追い込まれた「蛤御門の変」の現場を確認したかったから。
蛤御門の外側から。門の枠内に見えている遠景の山は「大文字山」。

3/5(土)、梅の咲く京都「北野天満宮」

北野天満宮は全部で四部構成になる予定だが、とりあえずエキスを速報。
楼門楼門内側

三光門(中門)拝殿・国宝


本殿・国宝




地主社、本殿裏側
老松社、本殿裏側・地主社向かって左隣
豊国社、本殿向かって左側
野見宿禰社、本殿向かって左
一夜松社、本殿向かって左

2011年3月8日火曜日

3/8(火)、心臓カテーテル検査入院二日目

公立能登総合病院に入院して二日目。心臓カテーテル検査のため。
最初に体重測定をして思わぬ事態に当惑。体重がこの一、二ヶ月で2kgも増加していた。食事の節度は保たれていた。思い当たると言えば飲み物か。近頃愛飲しているのはコカorペプシ・コーラのカロリーゼロというやつ。旅に出て眠気覚ましに利くのでいつしか愛飲。水分補給は殆どカロリーゼロに頼っていた。しかしどうやらカロリーゼロではないらしい。相当なカロリーが含まれていると見える。退院したら「カロリーゼロ」は口にしない。
部屋はVIPルーム。脈を取りに来た主治医(女房の弟)が部屋が空いてないので、と言っていた。高いけど居心地は好い。一般の個室はNETに繋がらないが、この部屋は一発で繋がり上機嫌。TVもただ見。ホテル住まいと見れば安いかも。ベッドに横たわって一日中読書三昧。が、読書も二日目で飽きた。梅原猛の「京都発見」、司馬遼太郎の「街道をゆく」をどっさり持ちこんでいるが、幾ら読書好きでも体を動かさないと脳に悪い。昨日買った週刊誌は読了。政局絡みの記事は記事になっていなくて詰まらん。カテーテル検査日は10日(木)。
こうも暇だとじっとしているだけで辛い。そうだ今週末退院したらまた旅に出よう。西or南に行けば梅が満開だろう。素敵な光景に巡り会えるかも。先週末の梅花に彩られた北野天満宮は夢のように素敵だったなぁ。

2011年3月6日日曜日

3/6(日)、京からの帰路、越前山塊へ

北陸道を武生で下りて「越前陶芸村」と「剣(つるぎ)神社」を目指した。越前海岸と福井平野の間に蹯踞する巨大な山塊――丹生(にゅう)山地に分け入る。「越前陶芸村」で大・中の盛り付け皿を二枚買った。〆て5,250円。「剣神社」に到達。参拝。陶芸村から近かった。ここは織田(おた)町。剣神社の摂社に「織田神社」があった。織田信長の祖先が剣神社の神主をしていたという伝説は有名。剣神社の祭神はスサノオノミコト。山中で鋭角に折れるコースをとって鯖江へ。そして福井へ。「北の庄城」を探す。勘が当たって即到達。江戸時代の松平家の福井城と敷地が殆ど重ならないが一部重なる。柴田神社も出来ていた。柴田勝家は、梅原猛説によれば確かに神になる資格を有している、非業の憤死を遂げた。しかもお市の方と共に天主閣で爆死したという劇的な脚色付き。さらに北して新田義貞戦没地を目指した。が、和倉温泉・加賀屋での宴会の時刻との兼ね合いが厳しくなってきたので断念。福井北から北陸道に入り帰省が15:30。17:00の開宴に悠々と間に合った。東京浅草から呼ばれた幇間(たいこもち)の至芸に魅入った。獅子舞芸は天下一品。明朝9時に心臓カテーテル検査入院するので、二次会は冒頭に「能登はいらんかいね」を一曲披露しただけで戻って来た。

2011年3月5日土曜日

3/5(土)、京都、相国寺・上下御霊神社・御所・北野天満宮・平野神社

南条SA出07:30。京都上京区「相国寺」着10:00。例の脱税管長の寺。それと今回の訪問は無関係。足利幕府が格付けた京都五山(臨済宗)は、別格最高位が南禅寺、そして一位・天龍寺、二位・相国寺、三位・建仁寺、四位・東福寺、五位・万寿寺。このうち南禅寺と天龍寺を訪ねたので自ずと相国寺の順番になったという訳。さすがに大寺。しかし、三門・仏殿など基幹伽藍を失ったままになっている。水上勉のデビュー作[雁の寺」の舞台になった塔頭寺院があった。相国寺は金閣寺・銀閣寺を従属させているので経済力・政治力は京都仏教界随一だろう。同志社大学と背中合わせ、京都御所の向かい。境内に「承天閣美術館」があったので拝観。入館料800円!高いと思うだろう。それが高くない。長谷川等伯の六曲二双屏風の水墨山水画が展示されている。圧巻。伊藤若冲の床貼り付け水墨画が二点、床の間を二つ設えて展示されている(模写だろうけど)。葡萄と芭蕉の大作二点。これも圧巻。等伯も若冲もセンスが違う。吾輩もこの程度までセンスを磨かないと面白くないf(^_^;)。このあと相国寺の無料駐車場にセレナを置いたまま、近くの上御霊(かみごりょう)神社を探訪。ついでに歩いて今出川門から京都御所・御苑に入り、丸太町通りに抜けて下御霊(しもごりょう)神社も探訪。御苑には自由に入れるが、御所には予め宮内庁京都事務所の許可を得なければ入れない。許可を申請するなんぞ、気ままな流浪の旅の精神にもとる。入って見たいが、入る機会はないだろう。幕末動乱期の大舞台となった「蛤御門」を確認。平安時代の怨霊のベスト10(正確には8かな?)を祀り鎮魂した神社を回ったとなると、怨霊の大立者・菅公を祀った神社に行かねば納まらない。北野天満宮へ。これが祭礼の様な賑わい。折しも受験シーズンで学問の神様の出番のところに「東風吹かば匂い寄越せよ」の梅の花が綻んでいるときている。北野天満宮は分厚い崇敬者層に支えられて隆盛。拝殿・本殿の見事さに圧倒された。迫力満点、ずっしりと存在感のある神社。美しい。16:30近くの「平野神社」にまで足を延ばした。西大路を走り白梅町付近に来るとこの平野神社が目に付いて一度探訪しようと思っていた。思いを遂げた。これで今日の日程は終わり。一日中好天。歩行総数21,500歩。距離数14.4km。今、名神高速・多賀SAに居る。今夜はここで宿泊。明日は柴田勝家の「北の庄城」の故地、新田義貞の戦死想定地(福井市内)などを探訪しがてら帰路を辿るつもり。(^O^)

2011年3月4日金曜日

3/4(金)、週末旅行に出発

週明け早々心臓カテーテル検査入院が待つ。前日日曜夕方は和倉温泉で宴会。ということで今週末の旅行は無理か、と考えていたが、今日気が変わった。今夜のうちに旅先深くに入り込み、明日土曜をフルに一日活用する。そして日曜日は戻りがてらちょっとばかし見学する。これなら無理なく週末探訪の旅をこなせる。という訳で家で晩食後九時前に旅に出た。途中北陸道小松・加賀間が事故通行止めで下道に下ろされた。幸先悪し。気温0度で小雪が舞っている状態。北陸道に復帰し、今南条SAに辿り着いた。今夜はここで宿泊。明日土曜の天気図は西日本を高気圧が覆うことになっていたので出掛けて来たのだが、どうなるか。京都を目指す予定。

2/13(日)、京都大原「宝泉院」

三千院の奥に参道を辿ると「法華堂」がある。後鳥羽上皇の冥福を祈るために建立されたそう。宮内庁所管参道の奥にあるのが「勝林院」。本堂は堂々たるもの。天台宗。勝林院は歴史の舞台に登場する。主人公は法然上人。ここで法然は南都北嶺の学僧を論破し、浄土宗発展の契機を得た。世に名高い「大原問答」
「宝泉院」の門。勝林院の横手にある。勝林院の僧坊。
「盤桓園」の主の五葉の松。樹齢は600年とも700年とも。圧倒的な存在感を誇る。

五葉の松を離れて見ると富士山型に見える。
宝楽園という庭園もある