2012年6月23日土曜日

〇6/22(土)関ヶ原、大垣の辺りを駆け回った。

今日はアチコチ沢山巡った。名神・関ヶ原ICで下りて、①関ヶ原古戦場・石田三成本陣・笹尾山に登った。②不破の関を探訪し不破の関資料館に入った。③南宮大社・美濃国一ノ宮・旧官幣大社に参拝。④南宮大社の旧神宮寺・朝倉山南神宮寺(真禅院)に参詣、重文・三重塔に惹かれて。⑤大垣城・本丸天守閣探訪、大垣城天守閣は戦前国宝に指定されたが、空襲で焼失し、今は再建されたものしかない。⑥岐阜県神戸(ごうど)町・日吉神社の重文・三重塔を探訪。収蔵館には重文・十一面観音像二体、重文・地蔵菩薩像一体、重文・石造狛犬一対もある。神仏習合したまま廃仏毀釈を撥ね退けた希有な特筆すべき神社。⑦岐阜県青墓の円興寺探訪。重文・聖観音立像に惹かされたんだが、非公開。⑧美濃国分寺で重文・薬師如来丈六仏を拝んだ。⑨美濃国分寺址遺跡を探訪。大遺跡、美濃国は大国。その美濃国、国庁も国分寺も一ノ宮もすべて関ヶ原の近く・西濃の西端にありひどく偏っている。⑩青墓で源朝長(頼朝の次兄)の墓を探訪して不成就。平治の乱で敗走した源義朝父子が青墓まで来たとき、腿を射られて動けなくなった朝長が望んで父の手で刺殺された。円興寺は当時青墓の山上にあった大寺で朝長はそこに葬られた。父・義朝は尾張国に落ちのびたが累代の御家人・長田忠致の裏切りに遭い謀殺された。少年・頼朝は雪の中、途中ではぐれて捕えられた。長兄・悪源太義平は京に戻って潜伏し父の仇・平清盛の首を狙ったが果たせず、六条河原で切られた。夕暮れてきたので歩いて登らねばならない朝長の墓の探訪は断念し、大垣から桑名を目指して南下し、東名阪・桑名東ICから入って今、東名阪・御在所SAに居る。今夜はここに泊まる。明日は津に出て、浄土真宗本山・高田専修寺(せんじゅじ)を先ず探訪する。北陸の人間は、真宗の本山と言えば東西本願寺だと思いこんでいるが、全国には本願寺以外の真宗の本山があちこちにある。(^.^)/~~~  

2 件のコメント:

  1. 【従姉の〇〇ちゃんからの(恰好好くない)メール】
    ブログをメールするのって恰好悪いね。「ぶふっ、○○ちゃん未だ出来ないんだ、」なーんてあの顔、この顔、浮かぶ。だいたい解っているんだけど、家の・石部金子が「お母さんは未だ自分のパソコンもちゃんと管理できないんだから・・・ぶつぶつ・・・」で「エーラそうに、誰がおむつ変えてやったと思ってる」とは思うけど、パソコンいじつていて変なメッセージが出ると、なにこれ、どうするのどうするのと騒いで教えてもらっているから、それにしてもパソコンってよくいろんなこと聞いて来ますね、無視するのも不安だし。
    数年前に唐招提寺に行った時、修復が完全に終わっていなくて金堂は公開していなくて、講堂に仏様全員集合のぎちぎち状態、珍しい光景を見たのです。でもよく見なかったのです。説明のお爺さんが居て解説してくれていたのですが、パチパチ写真を撮っていた中年の夫婦が居たのです、お爺さんが何度も注意しても止めようとしないのです。「止めたらどうですか」と言えなかったのが今も悔しい、勇気なかった。そっちに気をとられた、馬鹿!私のこと。仏様は大きくて威風堂々ですね、あんなにはっきりしたみずかき、縵網相、珍しいですね、化仏も精巧で美しい、でも下からは見えませんね。唐招提寺で確かめたいのはこれでは有りません。木組みです。
    旅、気をつけて

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  2. 寺社巡りを始めた当初、隠し撮りを試みたことがある。〇〇ちゃんが遭遇した中年夫婦のような厚かましさはないし、そんな厚かましいヤツは見たことがない。しかし隠し撮りの・あの後ろめたさ、それが嫌できっぱり止めて、呉れる案内パンフを大切にし(自分の所を好く見て貰うためにエキスを旨く撮った写真が載っていて貴重)、巷に溢れている観光用ポスター・資料で見るべきものがあればデジカメに収録し、寺社に好い資料・特に絵葉書・写真集が置いてあれば買い集めることにした。絵葉書・写真集が置いてない寺社は、縁がないと諦める。〇〇ちゃんが唐招提寺で確かめたいのは「木組み」だそうですが、それって金堂の柱・梁・屋根の小屋組み・庇などのことですか。それなら、しまったなぁ。寺の売店に、金堂の解体・修復の全過程を記録した資料集=本が置いてあった。買おうかどうか迷ったけど、買わなかった。買ってくれば好かったなぁ。迷ったら買うに限る。講堂に、解体・修復のあらましが分るような模型・写真が展示してありました。講堂・国宝は、奈良時代に朝堂を移築したそうですよ。知ってましたかぁ。

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