2015年4月2日木曜日

〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(35) 福井から敦賀までの道中

〇奥の細道《(ようよう)、白根が嶽かくれて、比那が嵩(たけ)あらはる。あさむづの橋をわたりて、玉江の蘆は穂に出にけり。鶯の関を過ぎて、湯尾(ゆのを)峠を越れば、燧が城、かへるやま(帰山)に初雁を聞きて、十四日の夕ぐれ、つるがの津に宿をもとむ。
〇「白根が嶽」は、白山を指す。
〇「比那が嵩」は、武生と南条の間にある日野山である。
↓ 日野山
 ↓武生市街から見た日野山
↓朝六の橋

 ↓朝六つ橋の碑
 《越に来て富士とやいはん角原の文殊がたけの雪のあけぼの 西行法師》
《朝六つや月見の旅の明けはなれ 芭蕉》
 ↓玉江



↑「玉江跡 この付近一帯の小流は歌枕にとりあげられたりして往時から知られている玉江の跡であり、この橋はその名残をつたえた玉江二の橋の名で呼ばれている。芭蕉が「奥の細道」の旅でここを通って 玉江 月見せよ玉江の芦を刈らぬ先 句を詠んで以来歌枕のみならず、俳句にもしばしばその名が出るようになった。」
 ↓南条SAの芭蕉句碑。芭蕉が湯尾峠の茶屋で詠んだ句。
 《月に名を包みかねてやいもの神 芭蕉》
↓敦賀市街のレストラン梅田の前に、芭蕉の泊った宿屋があったらしい。
 ↓レストラン梅田前「芭蕉翁逗留出雲屋跡」碑

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