2015年8月9日日曜日

〇8/9(日) 早朝から午前中一杯、村上市内を走り回った。午後から北中宿を基点に旧出羽街道を山中に探索し回り、夕方温海海岸で落日を見送った。

芭蕉と曾良は村上城下に二泊した。その事績は曾良の随行日記に残されている。その事績全部を結局探訪し終えた。初めはすこぶる不調。挫折するかと思えたが、二泊した宿「久左衛門」(井筒屋)を偶然発見し、そこで女性から懇切な案内を受けてからすべてが快調に回り出した。それまでに探索できていたのは岩船神社の句碑二基と瀬名海岸・瀬名温泉だけ。肝腎の井筒屋と寺院二箇所・句碑二箇所に迫れない。それにしても井筒屋の女性は親切だった。家付き娘だろうか。ここから浄念寺(泰そう院)・浄国寺(光栄寺の隣)、そして地蔵堂と稲荷神社の二つの句碑にもとんとん拍子。最後に重文・若林家まで探訪。午後は北上し北中を基点に山中を走り回った。北中に一泊したことは曾良の随行記が昭和になって初めて発見されて明らかになった。随行記には宿場は中村と書いてある。しかしどんな地図にも中村という地名はない。学者研究者は困って曾良の誤記説まであったが、何と真相は凄い。曾良随行記の真価は太陽の輝きを放つことに。明治政府が命令を出し
同一行政区内に同一地名があるときは地名の上に上・中・下あるいは東・西・南・北を付けることにしていたのだ。芭蕉と曾良が一泊した中村も南に同一地名があったので「北中村」に改称されその後「北中」と称することになった。地図帳の北中が芭蕉の時代の中村。曾良随行記に真贋論争が生ずる余地はない。北中の三叉路に芭蕉宿泊の宿が今もあった。山深く辿ってくる旧出羽街道と海岸線を辿ってくる旧出羽街道がここで交わり一本道となって南下して越後路となる。北中芭蕉公園があった。そこから山中深くに入り込んで村上の近くまで戻った。旧出羽街道を探索するつもりで。しかし辿った道は山奥過ぎた。北中・朝日(村上)間の旧出羽街道は現在の国道7号線に思いのほか沿っている。旧出羽街道の一部には到達した。大沢峠の石畳道。芭蕉の辿った旧出羽街道・大沢峠石畳道と表示してあった。今日は所期の旅行目的をほぼ完遂した(葡萄峠は分らなかった)。夕暮れ時、山形県温海(あつみ)海岸「立岩」で美しい夕景を見た。落日を見届けた。



  






今夜は道の駅「温海」で泊る。

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