〇敦賀から木之本宿を通り、春照宿に来た。わざわざ何故こんな今は忘れ去られた北国脇街道の旧宿場に来たかと云うと、芭蕉の奥の細道のルートの探索のため。芭蕉は加賀の山中温泉で曾良と別れた後、加賀の住人や福井の住人との二人旅となった。そのため、曾良随行日記は打ち止めとなり、以後の芭蕉の正確な足取りは不明となった。特に敦賀から大垣の間は分らない。奥の細道の研究者の推測では、敦賀の次に木之本で一泊し、さらに春照宿で一泊して大垣に辿り着いたとされている。それでボクも木之本宿を訪ねて、次に春照宿を探訪したというわけ。春照宿はすっかり寂れているうえ現代の国道筋から大きく外れて取り残されているので発見が難しかった。
↓北国脇往還略図 木之本宿(北国街道から分かれて)→小谷宿→春照宿→藤川宿→玉宿→関ケ原宿(ここから中山道に入る)
↓「北国脇往還春照宿今昔」
↓「左・ながはまゑ」
↓「右・北国・きのもと・ゑちせん(越前)へ」
↓伊吹山が近い
〇春照で博物展示館に入った。奥の細道関連のものはなかった
2017年8月3日木曜日
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