2009年7月16日木曜日
補色理論 について。
《ゴッホ書簡全集》(全6巻、みすず書房)を読むとゴッホが補色理論に如何に強い関心を持っていたか、補色について如何に深く探究を進めていたかが分る。印象派の登場と、光・色の自然科学的研究の進展とは期を一にしている。ゴッホのキャンバスはパリから南仏アルルに転地した途端一気に明るく多彩になるが、しかし彼のパレットには5、6種程度の絵具しか捻り出されていなかった。それだけであの多彩な画面を創り出した。それは正に補色理論の成果。ゴッホが南仏で使っていた絵具の種類と分量はほぼ正確に推測できる。彼はパリの弟テオに対して仕入れて送って欲しい絵具の種類と分量を克明に指示した手紙を送り続けたが、その手紙がほぼ全部弟テオ(ゴッホ自殺後あとを追うように死亡)の未亡人ヨハンナの手で奇跡的に保存されていたから。ゴッホが使用した絵具の種類は驚くほど少ない。少ない絵具の種類であの多彩な絵を描いた。それは彼が研究した補色理論の賜物。またゴッホが弟テオに送ってくれるように依頼したホワイトの分量の多さにも驚かされる。ゴッホの画面の明るさはホワイトの大量使用にある。さて補色とは何か――中学校の美術教室に張ってあった《12 or 24 色相環》の図を思い浮かべればよい。色相環の対面(といめん)関係にある二色が互いに補色。色相環図には12又は24の色しか表示されていないが(だから補色関係は6組又は12組しか表示されてないが)、大自然の中では色相は無限にあるから補色関係も無限にある。補色理論は机上の理論ではない。僕は補色関係を強烈に体験したことがある。氷見市街に丁字路があり、僕は車でその交差点に向けて正面突き当りに一商店の大きな看板を見つめながら進行していた。看板は赤。不図目を瞑ったら眼の中に青緑の看板がくっきりと浮かんだ。青緑が余りに鮮明に浮かんだので驚いた。補色理論が実証された瞬間だった。以来補色に注意して自然を観察するようになったが、見えてくることっ!日陰には日向の補色が潜んでいる。影の部分にこそ目で味わうに足る色味がありその千変する微妙に儚い美しさといったらない。自然界に原色は存在せず在るのは色味の着いたグレイの諧調だが、グレイの諧調は無限種類の補色の微妙な混合で作られている。陽として赤が見えているとき、実は陰として補色の青緑も見えている。だから陽の赤が突如消失すると陰の青緑が浮かび上がる。陽の赤を感ずる視細胞が活性化するとき、実は陰の青緑を感ずる視細胞も活性化している。一般的にある色味を感じたときは、その色味をグレイ化して色味を消し去る補色も感じている。陰の補色を感じられてこそある陽の色味の何たるかを味わえる。ここで思い至るのはヒトの脳は「対(つい)」概念を好むということ。明暗、陰陽、有無、生滅、虚実、濃淡、前後、左右、上下、縦横、高低、本末、大小、軽重、広狭、遠近、動静、緩急、遅速、昇降、強弱、硬軟、清濁、表裏、終始、賢愚、美醜、苦楽、貧富……∞。明は暗を解してこその明、暗が分らねば明も分らない。左は右を解してこその左、右を解さねば左も分らない。貴賎という厄介な対概念すらある。こういう歴史性のある対概念の扱いは浅慮を排して注意深くなさねばならないが、僕の言いたいのはヒトの脳は物事を「対(つい)」にして扱うことを好む性質があるということ。多分「対」が成立して初めて物事が分ったと合点する。中途半端は分ったとは言わない。視覚の世界からいきなり言葉の世界に跳んでどうする。しかし言葉を生み出す大元(感覚)に立ち至れば通じていよう。話は更に飛躍するが、分子生物学の次元ではヒトの構成単位である細胞は細胞膜を隔てて細胞質と外界の交通がONかOFFかで生きている。二者択一・二律背反の世界。ONはOFFがあってこそのON、OFFはONがあってこそのOFF。OFFがなければONはなく、ONがなければOFFはない。この対(つい)の機能が失われれば(中途半端化しても)細胞は死ぬ。それはヒトの死に繋がる。ヒトとは極論すれば細胞が組織化され、組織化された細胞の活動が同期同調化されたものであり、個々の細胞の生命現象は細胞膜を隔てた外界と細胞質との交通がONかOFFかに懸かっている。ゴッホの後半生における補色理論の研究は命懸けの事業たり得た。尤も後半生といってもゴッホの人生はたった37年間、そのうち画家を志したのが27歳からで、補色理論に基づき絵を描いたのは最後の南仏時代の2~3年間に過ぎない。この2~3年間猛烈なペースで絵を描いた。
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