2013年5月11日土曜日

〇元小木・海潮寺の「御所桜」

〇後鳥羽院が鎌倉の北条執権政権に対して倒幕の院宣を諸国に発して勃発した承久の変。院と共に決起したのが院の第三の皇子・順徳天皇。しかし結果は鎌倉・北条軍に圧倒されて、院も皇子も捕えられた。そして後鳥羽院は隠岐に、皇子・順徳天皇は佐渡に流された。順徳天皇は二十数年間の配流生活の後にここ佐度で崩御した。崩御の翌日、遺骸は「真野御陵」で火葬された。そして翌年、京都大原の「大原御陵」に改葬された。順徳天皇が「真野御所」で配流生活を送っていたとき京都から桜の木を取り寄せて植え、都・御所を偲んだ。しかしその地に馴染まぬ桜があった。それを移し替えたのが、海潮寺の「御所桜」だという。

 本堂の前の「御所桜」


 本堂に向かって右側の「御所桜」
 左側の「御所桜」。枝振りも、花の付きも好くない。
〇そう言えば大原三千院の奥にさほど大きくはない御陵があった。行き止まりにある勝林寺の手前。あの御陵は佐渡島とこういう因縁で結ばれていたんだなぁ。知らなかった。

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