2013年8月6日火曜日

〇6/23(日)福井県芦原市「吉崎御坊」とは何か、その実態に迫る(一)

〇「吉崎御坊」は、不振に陥り苦境に立っていた浄土真宗を、第八代門主・蓮如上人がここ吉崎の地での布教から立ち直らせたという・浄土真宗の聖地とされている。その聖地はなかなか複雑な構造をもっている。中心は何と言っても小高い山の上に史跡として存在する「御山」。この山は、この地方の豪族がその領地を寄進したもの。山上は平坦で、そこに蓮如が開創した寺院があった。この「御山」の麓に「西御坊」と「東御坊」が肩を並べて存在する。西御坊は「本願寺・吉崎別院」であり、東御坊は「真宗大谷派・吉崎別院」。要するに東西本願寺がそれぞれに吉崎に別院を構えている。この東西御坊の周辺に「嫁脅し肉付きの面」を寺宝とする二つの小寺院が存在する。「嫁脅し肉付きの面」が二つ現存している。この分では、昔は多分もっとあったろう。吉崎御坊から布教に赴く旅僧が、話の種に持ち運んでいたのじゃないか。
↓「西御坊」。蓮如上人御旧蹟。本願寺(西本願寺)吉崎別院。
 
 門の内側。この門は「念力門」といわれる。由緒ある門。その由緒「この門は1591年豊臣秀吉が京都の西本願寺に寄進したもので、1861年「蛤御門の戦い」の時、兵火から本願寺の堂宇を守った由来により「火消門とも呼ばれた名高い門。1949年11月西本願寺より御下付。百余名の信徒によって京都から250km・16台の荷車で念仏の掛け声と共に運ばれたもの」
 経堂
 式台
 本堂
 
 中宗堂。親鸞の御影が祀られている。
 鐘楼
 唐門
 唐門を潜り抜けると、左に「東御坊」。東西御坊の間に細い旧道があり、それを登って行くと「御山」の山上に着き、蓮如の開いた寺の旧跡がある。

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