2013年8月1日木曜日

NO.15 〇木曾路「馬篭宿」。木曾十三宿の最後。伝統的建造物群の風情・旅情は失われている。

〇島崎藤村が小説「夜明け前」で「信州・馬篭」と表した「馬篭宿」は、長野県知事が田中康夫のとき・長野県から脱退し(多分知事への反感から)、美濃の国・岐阜県中津川市に合併してしまった。確かに馬篭宿は既に・藤村が生まれ育った「信州・馬篭」ではなくなっていたのだ。街並は現代化・観光地化した中津川市馬篭。街並に宿場町の風情・旅情はもうない。ボクも街並に殆どカメラを向けていない。
↓馬篭宿はかなりの勾配の坂道に沿っている。坂の上端・場末に高札場があった。
 「中山道・馬篭宿」
 ここは坂の上の場末。ここから馬篭宿が始まり下へ下へと下って行く。
 恵那山の全容が見えるはずなんだが。
 ↓喫茶店に掲示してあった・この店の窓から見える恵那山。
 ↓街並が伝統的建造物ではなくなっているのでカメラを向ける間もなく・中間地点の「藤村記念館」に来てしまった。ここは往時の本陣宿らしい。

 門内を覗いてみた。藤村記念館はもう二度訪れている。今回は料金を惜しんで(疲れ果てたのもあった)遠慮。
 以下、街並風景。江戸時代風の宿場町の面影は残っていない。





 ↓坂を下り切った場末。この手前に新道が開かれ・大きな土産物店が建ち並び、木曾十三宿一番の賑わいを見せている。観光客の殆どは、宿場街の風情・旅情などにはほとんど関心がないのだ。
 以下、戻りの道。坂を登って行く。桝形(ますがた)に向かっている。
 桝形
 桝形の上。ここから恵那山が見える筈なんだが。
 妻籠・奈良井の街並と見比べて貰えば・ボクの言う意味が分って貰える。妻籠・奈良井の伝統的建造物群保存の努力はおそらく大変なモノ。しかし観光産業の潤いを最も享受しているのは馬篭。

0 件のコメント:

コメントを投稿