能因法師の歌「都をば霞とともに立ちしかば 秋風ぞ吹く白河の関」
「白河の関」は古来、歌枕として最高位にあったろう。その白河の関を探訪しようと思い立ったのは、我ながら上出来。ところが、白河の関は歌枕として有名でも、平安後期にはもうその所在地が知れなくなった。古来二説あった。今でも異説を称える向きがあるが、ほぼ決着したとされている。この項の最後に「古関蹟の碑」の写真が出てくるが、それは白河藩主「松平定信」が古文献を精査して1800年にここ白河神社が立地している所が「白河の関」の故地であると断定して建立したもの。近年の発掘調査でも、神社の隣地に空堀・土塁跡が確認されそれが関跡と考えて矛盾しないことが確認された。今では吾輩が探訪した地が「白河の関」跡であると考えてほぼ間違いはなかろう。↓「式内・白河神社」の石碑が迎えてくれる。 「史跡・白河の関」の石碑が建つ
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