2011年9月6日火曜日

〇出羽・羽黒山麓「正善寺・黄金堂」

羽黒山修験道「寺派」総本山「正善寺」。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈の時、羽黒山の修験道は「神派」と「寺派」に分裂した。正善寺以外はすべて「神派」になった。羽黒山内の寺院堂宇はすべて取り壊され、中の仏像も捨てられた。しかし寺院堂塔で残されたものがある。仁王門と国宝・五重塔。仏像で残されたものがある。山門を守護していた阿吽の仁王像。二体の巨像は正善寺・黄金堂に運び込まれ今も安置されている。他にも幾つもの小仏像が黄金堂に避難している。
↓ 正善寺・山門 正善寺の前の旧道を渡ると向かいに黄金堂がある。↓ 左・仁王門、真ん中・黄金堂



仁王門。羽黒山・山門から運び込まれた二体の仁王像は、この山門にはいない。後ろに建つ黄金堂の内部に窮屈そうに立っている。



重文・黄金堂






黄金堂の本尊・33体の観音像





黄金堂の見物はこの33体の観音像だけではない。黄金堂内に入ると目の前にその巨大な姿を場違いに現す仁王像、33観音像の周囲の回廊に所狭しと並べられている羽黒山から避難してきた諸仏の数々。説明に立ってくれた若い修験僧が残念がったのは国宝・五重塔の前立三尊と伝承のある仏像の前でのこと。国宝・五重塔の御本尊(観音像だったらしい)も黄金堂に運び込まれる手筈だったが、村人の中にそれを横流しして換金した不届き者がいた。実に怪しからん。その観音像は傑作だった可能性がある。あとで五重塔を回ったら、今は大国主命を祀っていた。五重塔は本来仏舎利塔ではないのか。タワケ。仁王門・山門は神門に性格を変えられて、今は右近・左近の武士が守っている。それが小さ過ぎて場違い。

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