2011年9月24日土曜日

〇9/24(土)、空海の母の寺「慈尊院」から高野山に上り、海南市に下りて国宝寺院を訪ね、和歌山市「日前・国懸神宮」に駆けこんで日が暮れた。

昨夜は午前零時まで読書。今朝六時に目が覚めた。七時半、道の駅「紀ノ川万葉の里」出発。八時、慈尊院到着。「国宝・弥勒菩薩像」は秘仏。しかし綺麗に撮れた写真が載っている小冊子と絵葉書を入手して満足。僧の話では築地塀の古さと厚さが日本一。多宝塔は未だ工事中。裏手の「丹生官省符(にゅうかんしょうふ)神社」も参拝。神社を起点に高野山まで続く「町石道(ちょういしみち)」のはしりを見分。セレナで高野山に上る。先ず「金剛三昧院」へ。古刹名刹。「国宝・多宝塔」を見分。二種の絵葉書をget。それから「霊宝館」へ。重要文化財級の多数の文書・仏像が展示されている。写真集六冊・絵葉書二種を買って満悦。そして壇上伽藍へ。目当ての「国宝・不動堂」を見分した後、全伽藍を撮影。以前にも全伽藍撮影をしたことがある。山上を出発したのが午後一時。和歌山県海南市へ。海南市・下津に国宝を擁する寺院が二つある。そのうち「長保寺(ちゅうほうじ)」を目指した。午後三時、下津に到達。走っていたら途中で「善福寺」の案内板を発見。これぞ二つ目の寺。こちらを先に探訪することに。行ってみると「国宝・釈迦堂」一宇しかない。無住かと思ったが、よく見ると隣の民家の軒先に小鐘がぶら下がっている。こういう国宝寺院もある。長保寺は堂宇伽藍は立派に整っているのだが落胆させられた。「国宝・大門」「国宝・多宝塔」が共に工事中で直方体の覆いの中。「国宝・本堂」だけが拝観できた。受付のオバアチャンががっかりしている吾輩を見て拝観料300円を取らなかったので、本堂の賽銭箱に200円入れた。貰った案内パンフに「大門」と「多宝塔」の小さいが鮮明な写真が載っていたので落胆も紛れた。四時過ぎ、海南ICから阪和自動車道に乗って和歌山ICで降りて「日前(ひのくま)神宮・国懸(くにかかり)神宮」を目指した。行ってみると五時に閉鎖されるという。そそくさと探訪。鬱蒼とした森の中、両神宮は左右対称に鎮座している。紀の国一ノ宮。紀州は変な所で一ノ宮があちこちにある。司馬遼太郎の「街道をゆく」を読むとここの宮司は「紀」氏だという。紀の国一ノ宮を名乗る資格が最もありそう。五時半、阪和自動車道・紀ノ川SAに入り込んだ。今夜はここで泊まる。明朝、泉州木積の「孝恩寺」に照準を合わせている。ここに重文の荒削りの木造仏が多数ある。梅原猛はそれらは「行基仏」だと主張する。奈良時代に木造仏はないという学会の通説に真っ向から挑戦する新説。その仏像達をこの目で見ようというのだが、泣き所は宝物館拝観は要予約。目下予約なし。携帯を持ってきてない。どうなろうと孝恩寺に行ってみることに意義がある。左足のことだが、歩くと付け根に負担がかかって痛む、ビッコをひいている。松葉杖が欲しい。脳梗塞は無関係。

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