2013年3月21日木曜日

〇四国88札所霊場巡り、第77番・香川県仲多度郡多度津町「道隆寺(どうりゅうじ)」

道隆寺の歴史・由来



仁王門をくぐると、ブロンズの観音さんがずらりと並んで迎えてくれる。創建ころのこの付近一帯は広大な桑園で、絹の生産地であったようである。縁起によると、和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、草堂を建てたのが寺の初めといわれる。道隆公は、周囲5メートル近い桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っているのを見た。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり、乳母が倒れて死んでいた。嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養すると、不思議にも乳母は生き返ったという。
大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は唐から帰朝した弘法大師に懇願し、90ンチほどの薬師如来像を彫造、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊とした。
朝祐公は大師から授戒をうけて第2世住職となり、先祖伝来の財産を寺の造営にあてて七堂伽藍を建立、寺名は創建した父の名から「道隆寺」と号した。第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が嗣ついで二十三坊を建立し、第四世の円珍(智証大師)は五大明王、聖観世音菩薩像を彫造して護摩堂を建立、次の第5世聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となっている。高僧が相次いで寺勢は栄えたが、貞元年間(976〜78)の大地震による堂塔の倒壊や、康平3年(1060)の兵火、また「天正の兵火」に遭うなど興亡をくり返しながらも、法灯を守り続けている。
〇真言宗醍醐派。本尊は薬師如来。
↓ 仁王門


 仁王門から真っ直ぐ正面に本堂。右手前は大師堂。
 左・大師堂と右・鐘楼
 本堂。本尊は薬師如来。
 多宝塔

 大師堂・左側面。
 大師堂・正面。
 本堂・右側面。

大師堂、左端・本堂。立ち並んでいるのは観音像。
本堂の左側を行く。観音像が立ち並んでいる
本堂横に立ち並ぶ観音像
 本堂裏の観音像群。
 中心に立つ観音像。この角度から見ると形が好い。背後の電信柱が邪魔(`´)
 多宝塔と大師堂
 以下、妙見宮
 拝殿
 拝殿・側面と本殿
 中心の観音像の後姿も形が好い。
 北門・裏門
 「お遍路さん専用駐車場」に置いてある白いパンは何か。
 「風の強い日・雨の日」にお遍路さんが非難する場所だそうです。

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