〇昨日、金沢で中部調停協会連合会大会があった。そこでボクは再会した。昔、法学部の同じクラスで一緒に学んだ美人(現在名古屋弁護士会所属)と。当時彼女はボクの目に、特別の存在と映った。やがて50年近く経とうとする今も、その姿は当時のままボクの目の中にある。その人と話した。変わっていなかった。登壇し演説したその姿は、学生時代の彼女の性質がそのまま今に投影されているように見えた。それは彼女が大学卒業後の46年間、彼女らしく法曹界で生き抜いてきたことの証だった。壇上で彼女は、テーブルで上半身しか見せていなかったが、ボクには仁王立ちで話しているのが分った。南大門の仁王像の様に重心を時に右に左に移動させながら。さしずめヒラリー・クリントン。堂々たるその風姿は一場を圧倒していた。ボクは彼女と生涯再会することはないと思っていた。それが昨日話をする機会を得た。彼女は愛知県家事調停協会会長。再会の機運はあったわけだ。
〇彼女は生涯弁護士を続けるそう。一年生に帰ったつもりでやるそう。それは立派な事だが、ボク向きではない。ボクはやがて辞めると言った。ボクにはボクらしい道がある。ただその道の探究が生半可であったことには忸怩たる思いがする。彼女と再会しその姿を目の当たりにしたことを契機として、ボクの求道は何であったかを見詰め直そう。見失っていた。何事も時間との勝負であることを。ボクの余命はあと10年。
2015年11月14日土曜日
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