2012年4月30日月曜日

4/30(月)「香取神宮」「鹿嶋神宮」、利根川河口・銚子漁港、犬吠﨑、九十九里浜、上総国一宮「玉前神社」、道の駅「つどいの郷むつざわ」

午後七時前、道の駅「つどいの郷むつざわ」到着。ローソンが横付け。なので「桑の箸」でまたまたカップヌードルを食べた。桑の箸は優しくて上品な感じを口に与えてくれる。大事にしよう。この道の駅の所在など千葉県人でも分るまい。今日の行程を説明すればほぼ察しがつくと思われる。香取市佐原の道の駅を出て近くの「香取神宮」へ。エントランス(長く曲った参道)の楓が若葉をつけていた。秋の紅葉は素晴らしかろう。拝殿が工事中で詰まらん。次に「鹿嶋神宮」へ。裏参道・御手洗(みたらし)池の前の無料駐車場に入った。この裏参道が昔には実は表参道だったという伝説がある。鹿嶋の森をゆったり歩いた。ここは本殿が工事中で詰まらん。香取・鹿島と回って心が洗われたのは事実。小難しい或いは無理筋の教義を一切持たぬのが好い。南下し利根川をその河口付近で渡って千葉県に入り銚子漁港を巡って犬吠﨑ヘ。銚子漁港はスケールがデカイ、超がつく。電鉄が犬吠﨑まで来ている、意外。犬吠崎は何ということもない岬なんだが、とにかく一度来て見ないことには話にならない。あっそうそう、今日もまた二時間近く昼寝した、銚子漁港で。それで九十九里浜の南端・一宮で夕暮れとなった。九十九里浜は期待通りに長大。北部の海浜は海蝕に遭ったりそれと闘ったり、南部は広大な砂浜・砂丘がそのまま残っていたりと様々な顔を見せている。走りながら吾輩の脳裏には、浜辺に沿って35kmにも亘って途切れることなく続く街並が東北地震津波規模の災害に見舞われたらどうなることかという思い。浜に沿う国道までの間には二本の県道が海岸に沿って走るが、二本の県道筋の住民は助かるまい、これが吾輩の得た感想。住民は大地震が来たらとにかく内陸に向かって逃げ出すしかないが、海浜から四、五キロの間は大津波を避ける高台がない。無いといったら本当に無い。脚で逃げては逃げきれまい。車でならと思うだろうが、九十九里浜の道路は海岸に沿って伸びていて、内陸部を目指す道は発達していない。住民は頻度を増している地震をどういう気持で受け止めているんだろうか。多分開き直っているだろう。九十九里浜の南端・一宮で「玉前(たまさき)神社」が上総国一宮であったことを案内板で知った。急遽夕闇迫る中、本日最後の探訪をすることに。祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)。玉前神社で宵闇が下りた。セレナの中で今夜の宿泊先・道の駅を検討したら海岸線を行くと勝浦を通り越して鴨川まで行かねばならずこれは遠過ぎる。内陸に目を遣ると一宮町の次に睦沢町がありそこに道の駅のマークがある。とにかく睦沢町を訪ねて見ることに。核心のない町で心細いこと限りなし、諦めかけたら道の駅の案内板が出た。らしくない道の駅だが、ローソン横づけだし、電波状態も好いし、明日の行程との折り合いも好いし言うことなし。それじゃまた明日(^.^)/~~~

〇「立木観音」。「会津ころり三観音」の一つ。

山門。立木観音で有名なこの寺は恵隆寺といい、真言宗豊山派・大本山長谷寺に属する。長谷寺の本尊・千手観音像も巨大だが、この寺の立木観音も巨大で甲乙つけ難い。
正面に観音堂がある。
観音堂の手前・左に三仏堂
三仏堂・内部
↓右端の庇は観音堂。三仏堂は左側の小屋。
小金塔(こきんとう)。近時再建された。


↓本堂
↓観音堂・国重文


↓観音堂・側面
立木観音像の写真・ポスターを現地で集めてみた。この観音像は、立木に直に彫刻されたと言い伝えられる。


↓立木観音像の千手の一部。






立木観音はその左右に四天王・十二神将・その他の眷族数十体の仏像に従われているが、それらの仏像はセンス・技量の乏しい仏師の作と見える。京都の三十三間堂の諸眷族像数十体(すべて国宝)と比較してはいけない。仏師の器量が違い過ぎ。

2012年4月29日日曜日

〇筑波山は絵になるだろうか。探訪第一波。

筑波山は双耳峰。右が女山、左が男山。




↓譜門寺境内から
 ↓筑波山の中腹に赤の大鳥居を発見。大神社があることが分かったので行ってみることに。「筑波山神社」探訪記は後日掲載。






〇4/28(土)会津の山と田園風景

磐梯山
磐梯山
飯豊(いいで)山

〇旅の同伴者ができた。桑の箸。

↓桑の箸を、セレナのフロント部分に載せて撮影。
旅の第一夜、道の駅「西会津よりっせ」で泊まったとき、近くにスーパーストアがあったので晩食を買出しに行った。レジの後ろにお湯の用意があったので、カップヌードルを買ってこれにお湯を入れてセレナに戻り主食にすることに。セレナに戻って気が付いた、ストアではカップヌードルを買っても割り箸を付けてくれない。コンビニでは必ず付けてくれるのに。旅に出始めた数年前にはドラッグストアで買った割り箸と爪楊枝の束をセレナに装備してあったのにいつしか何処かに消えてしまってもうない、別に使い切った訳ではないのに。車内の大捜索が始まった、箸か箸に代わるものがないかと思って。それが無いときには無いんだなぁ。それでも執念で捜していたらシートの下の床に使い古しの割り箸の片割れが出てきた。仕方がないからその汚い割り箸一本で食べた。さすがに惨めな思いがした。侘びしくもあった。こんな生活もう厭だぁとまでは思わなかったが、それに近かった。その翌日会津若松の飯盛山に「さざえ堂」を訪ねた時、山の真下に無料の駐車場があった。駐車場難の地区である、半信半疑で乗り入れると案の定、山からの帰りには〇〇土産店に寄って呉れだと。さて帰り道に土産店に寄ると買うものが何もない、無いといったら何も無い。買わずに措こうと思いながら店内二周目にかかったら、箸が目に付いた。昨晩の惨めな情景が脳裏に浮かび、吾輩の目が光っただろう。黒檀・紫檀の箸は1,000円、これじゃ「タダより高いものはない」の格言に屈したことになり癪に障る。桑の箸が600円、一割引きで540円。この桑の箸がお手頃感だったので買った。早速第二夜も(磐越道・阿武隈高地SA)カップヌードルを食することにして桑の箸を使ってみた。それが割り箸で食べるのと比べてお上品な感じがしてそれだけでヌードルが美味しくて食生活が豊かになった感じがした。とんだことから旅の同伴者ができた。吾輩はこの同伴者がお気に入り。桑の箸と楽しいひと時を過ごすため第三夜も(今晩、道の駅・水の郷さわら)、コンビニでカップヌードルを買ってお湯を注いで持ってきた。コンビニで付けてくれた割り箸は取って置き。

〇4/29(日)今夜の泊まりは茨城県香取市「道の駅・水の郷さわら」。昼は筑波山の界隈をウロウロと。

午後五時半、香取市(旧佐原市)「道の駅・水の郷さわら」に入った。銚子市犬吠﨑まで行く予定が佐原止まりになったのは、午前走行中酷い睡魔に襲われ続けて危険なので何処かのPAで一眠りしたら二時間も爆睡したから。今日の日中は筑波山が絵になる風景かどうかを探求することに時間を費やすことにした。筑波山の周辺を走り回っているうちに最後は中腹の「筑波山神社に登った。それから霞ヶ浦の主・土浦市街地に初めて入ってみた。土浦市の郊外に「予科練平和祈念館」があったが素通りした。そして香取市(佐原地区)に当時(一、二年前)出来たばかりの道の駅がありそこに泊まったら最高の立地と施設と電波状態だったことを思い出し、今夜はそこで泊まろうと決めてやってきた。香取市に入るには利根川を渡る。対岸(北側)は潮来。潮来も佐原も有名な水郷地帯。だが水系が違う。潮来は霞ケ浦から流れ出す常陸利根川水系。佐原は大利根川水系。香取市には吾輩にとって重要なものが三つある。①佐原は伊能忠敬の生地・人生の大半を送った所。吾輩の様な地理好きにとって伊能忠敬は聖人、孔子よりも尊敬できる。佐原は聖地であり、そこにある伊能忠敬記念館は孔子廟よりも尊い。展観内容も充実。②佐原には歴史的伝統的建造物群が残る街並がある。もっとも街並としては大きな期待を持ってはいけない。③香取神宮。普通「鹿嶋・香取神宮」と並び称されるが、鹿嶋神宮の方が別格の様な感じがする。いずれも探訪済みだが、①と③は何度訪れても好いだろう。殊に③は季節が違えば趣きが変わりそう。ということで明朝は香取神宮に寄って行くんじゃないかなぁ。となるとまた利根川を北に渡って鹿嶋神宮にも多分寄る。銚子・犬吠﨑には鹿嶋神宮から南下することになる。銚子からは利根川河口で対岸に渡り、九十九里浜を走って房総半島先端・安房国に至る、これが明日の予定。安房の鴨川・館山を射程に入れるとなると渋滞のことも念頭に措かねば。今日の常磐道下り線は一部渋滞していた(吾輩は上り線)。吾輩は大都会人と旅の発想をできるだけ違えるように行き先・行程を計画するのであんまり渋滞に嵌ることはない。今セレナが地震でかなり揺れた。太平洋側は恐ろしいなぁ。

〇4/29(日)磐越道・阿武隈高地SAで6時起床。

今朝食をセレナの中で済ませたところ。昨晩三春町のコンビニで買った品。「グラタンコロッケバーガー」128円を1個、「カニ風味かまぼこ」98円を3分の2(安いだけに不味い、風味が全然ない)、「ふんわりレーズンカスタード」148円の食べ残しをまた食べ残し、「毎日の食卓3.6牛乳500ml」を200mlほど。それと食前・食後の薬。食後薬を飲むと覿面(てきめん)眠くなるので要注意。いわき市・日立市をとばしてひたすら南下するところまでは日程が決まっているが、その先が未定。足の向くまま気の向くまま。筑波山に登ってみようかなという気持がある。常陸の国は何と言っても筑波山でしょう。銚子市・犬吠﨑に行く目標は不変。それじゃまた(^.^)/~~~

2012年4月28日土曜日

〇4/28(土)西会津を走り回り、夕方「三春滝桜」に会ってきた。

昨夜は福島県の道の駅「西会津よりっせ」で泊まった。金曜日は北陸道から関越道に入り堀之内ICで下りて「石川雲蝶」という江戸末の彫刻師の作品を見て回った。そのあと小出から奥只見を経由して会津坂下に抜ける国道を辿ったら、何と福島県境で冬季間閉鎖中やと、今何月やと思うとるんや。仕方ないので引き返して新潟県栃尾市・五泉市経由で阿賀野川に出て西会津にやって来たという訳。今日土曜日は西会津を中心に探訪の旅をした。先ず「立木観音」「中田観音」を探訪。これに「鳥追観音」を入れて会津ころり三観音というそう。鳥追観音は既に探訪済みなので今回は省略。それから「伊佐須美神社」、旧国幣中社。これが東北大震災で本殿が崩壊したらしい。復興を目指して浄財を募っているが、その描く絵姿が凄い。あとで紹介する。それから二山越えて柳津の「福満虚空蔵尊円蔵寺」へ。会津の最後は会津若松・飯盛山にあるさざえ堂。二重螺旋構造の珍奇な建物、昇りと下りの人が擦れ違うことがない。一応国指定重要文化財。それから磐越道で郡山を経由して三春町に行き今や全国区に名を売った「滝桜」を見てきた。夕暮れ前に着いた。陽光の下の滝桜と夕暮れ後にライトアップされた滝桜の両方を鑑賞した。岐阜県根尾谷の「薄墨桜」と好い勝負だな。晩になっても桜見の車の渋滞が続いていた。九時消灯だから無駄骨を折る者が沢山出るなぁ。ボクは八時過ぎに磐越道「阿武隈高原SA」に入り込んだ。電波も繋がったし、今夜の泊まりはここ。ブログの写真編集はダイアルアップ接続ではノロ過ぎて調子が狂いただただ疲労困憊するので今夜はお休みするわ。明日は房総半島を目指します。それじゃぁまたぁ(^.^)/~~~

〇4/28(土)昨夜の宿泊地は「道の駅・西会津よりっせ」

起床六時半。昨夜のブログ作成時に当夜の宿泊地を書くのを忘れていた、ここは「道の駅・西会津よりっせ」。大きくて明るい。会津坂下(ばんげ)の手前で位置的にも持ってこい。看板を見ると「オープン7周年」とある。「新潟81.3km、平161.8km」の標識もある。が、「平(たいら)」とはちょっと古い、とっくの昔に大々合併して人口30余万人の「いわき市」になっている。平はかつて常磐炭鉱で栄えた町で、いわき市庁舎が置かれているがその実態は人口10万人程度の都市。いわき市は福島県浜通り地区にあり「東電福島第一原発」の南に位置するが自由に出入りできる。因みに福島県の市の人口第一位は郡山市で30数万人、二位がいわき市、三位が福島市で29万人。この順位は意外でしょう。観光寺院はどこも開業は九時から。大山祇(おおやまづみ)神社の奥社まで4kmの道程を歩いて来ようかな。平地なら好い運動になるんだが、多分up down がきつい。考えもの。

〇新潟県南魚沼市・曹洞宗「西福寺」。石川雲蝶の天井大彫刻を求めて。

左・三門。右・白山神社鳥居。
↓三門、石造仁王像が居る。
白山神社鳥居
↓中門
中門、木造・仁王像が居る。
↓鐘楼。背後は「開山堂」とその覆い屋
↓正面・本堂、右・庫裏
↓開山堂。この中が石川雲蝶の彫刻で一杯。

 ↓開山堂の向拝に雲蝶の彫刻が施されている。
 向拝の柱の象の彫刻
 ↓本堂。雲蝶の天井彫刻は「開山堂」にある。
↓開山堂へ。天井一面の大彫刻。

天井彫刻の一部。鷲。
天井彫刻の一部、遡上する鯉。
↓道元・右と白山権現・左。
↓鬼退治をする仁王像。