2013年5月1日水曜日

〇5/1(水)高崎市・探訪地なし、富岡市「上野国一ノ宮・貫前(ぬきさき)神社」、玉村町「玉村八幡宮」、太田市「世良田(せらた)東照宮・長楽寺」。そして日が暮れた。

今朝は08:30に目覚めた。遅い。原因は昨夜の不眠。就寝したのは23:00過ぎだったが、心が冴えて‥真冬の凍てついた満月の様に青白く冴え冴えとしたボクの心がボクから分離して遠く高い所から冷酷にボクをジッと見詰めていた。いつになく心がシンシンと冷たい温度を持ち、遠く高い距離を措いて離れていく。自分の心が自分のモノでなくなる転機を見た感じ。この冴え冴え感と分離感は異常。それでこの頃のことを振り返ってみると、佐渡島から本州に戻ってから虚脱感というか安堵感というか今までにない様な気持が薄く漂った。その後、探訪した「石川雲蝶」と「木喰上人」に奇跡的に遭うことができて心が大いに充実した。寝るまでは昂揚感と充実感に満たされていた。寝に就いたら心が別のモノに変わっていた。この頃は、老化して記憶・特に名詞がもはや蓄えられずどんどん失われて行くばかりなのには茫然となり失望させられていく日々だが、それとは違う。満月が突如クルリと回転してその裏側を見せたらそこに異様な顔があったような、掌を返したらそこに見たことのない凶器が現れたような、そんな感じとでも言わないと訳が分らない。鬱の奈落に転落する瞬間が続いていたと言っても変ではない。ボクは携帯で明け方4時になったことを確認したのを覚えている。ボクから離れたところで独り冴えわたってボクを見ているボクの心を見詰めながら、ボクはある一つの事実を摘出するに至った。それは‥この10年間ボクは糖尿病・高血圧などの薬漬けの生活を送ってきた。処方通りの服薬の遵守はボクの生活そのものとなりボクの生命維持のの保障制度となっている。服薬を怠り血糖値・血圧などの数値の異変を招けば、ボクの体調・精神状態は多分忽ち異変に遭遇する。そう言えば佐渡島に渡ってからボクは処方された薬を服用した覚えがなかった。血糖値を下げる薬を全然飲まず・血圧降下剤も半分しか飲まずに懸命にコンビニを探し夢中で島内を走り回っていた。本州に入ってからも同じことで、400段の石段を健康な人の後を懸命に追っていた。体調・血液状態が変調を来し、それが脳などの機能に変調を及ぼしていた可能性がある。ボクはとりあえずはそう結論付けて漸く眠りに着いた。今朝は珍しくSAの食堂で野菜炒め定食を食べた。野菜が盛り上がっていた。食堂で、手にして行った薬を飲んだ。そして9時過ぎに越後川口SAを出発した。北陸は曇り乃至細雨だったのに三国山脈を谷川岳トンネルで抜けると関東側・渋川は掌を返したように晴天なのだった。その劇的差異にはただ感動するしかない。関越道を下りて高崎に入ったのは12:30頃か。高崎には探訪地が意外と言うか案の定というか殆どない。下道を富岡に向かい、かねて目をつけていた「上野国一ノ宮・貫前神社」に進路を合わせた。想定通りの充実した神社で訪ねて好かった。楼門・拝殿・本殿が重要文化財。次に向かったのは玉村町の「玉村八幡宮」。着いたのは15:30頃か。世俗っぽい感じで期待値を下回った。本殿が重要文化財。次に狙いを定めたのは、太田市の「世良田(せらだ)東照宮」。拝殿と本殿、そして本殿と拝殿の間にある唐門が重要文化財。到着が午後5時過ぎ。ここが徳川家発祥の地であることを初めて知った。何か重要な文化財が集積されている地域という感じがして期待が湧く。もう時刻が遅いのでとにかく探訪してみようと駐車場で準備していると‥その近くに建っている豪壮巨大な歴史資料館の学芸員らしい年輩の人が駐車場のゴミを拾いながら話し掛けてきた。「どこから来られましたか」「七尾城のある所ですね」。そして滔滔(とうとう)と蘊蓄(うんちく)を傾けて語り出した。この地は昔の新田の荘。新田義貞の本拠地。隣が県を異にするが足利尊氏の本拠地・足利の荘。今は群馬県太田市と栃木県足利市。足利市は宇都宮市に対して反骨精神があり、太田市とは割と馬が合う。方言も宇都宮市よりも太田市に近い。それはそうかも、とボクは思う。元は足利氏も新田氏も同根の源氏なんだから。多分新田氏が本家筋。この新田氏の一族に徳川を称する者があり、その荘園はこの地にあった。江戸幕府はこの徳川家に目をつけて、三河徳川家はこの地から出自した正真正銘の源氏であると主張した。かつて藤原姓を称したこともあったのに。それは3代将軍・家光の時代。そして家光は2代将軍・秀忠が建立した日光東照宮を今日ある様な華麗なモノに造り替えた将軍だが、元の東照宮の建物をこの地に移し知行地も付けてその永続を図った。徳川将軍家が新田源氏の一派であるとの主張を補強するため徳川家康の霊をこの地でも祀った。お陰様でボクが、日光に最初に建てられた元・東照宮の有様を今この目にし得るという訳。もっとも本殿は焼失したので移転ではなく、天海上人に新築させたらしい。話し掛けてきた人のお蔭で「世良田東照宮」に関する知識は一気に短時間で豊富になった。興味も俄然増した。昨日の善人との遭遇の好運は未だ続いている。が、5時過ぎでは門と拝殿までしか拝観できない。唐門と本殿は蔭に隠れてどうしても300円の拝観料を払って明朝瑞垣内に入場して拝観するしかない。そこで今夜は歴史資料館のあの人と会った駐車場にそのまま泊まって明朝を期することにした。もう一つ素晴らしかったのは「世良田東照宮」と神仏習合しその別当寺となっていた「長楽寺」が、明治維新の神仏分離の波を被ったにもかかわらずほぼそのまま残されていること。この寺は、夕暮れるまでのひと時に十分探索し堪能した。それから太田市内の「金山城」の素晴らしさも推奨された。中世・戦国時代の山城だが、標高は200m余で山の相当上まで車で登れるとのこと。あの人があれだけ熱弁を振るって推薦した城址だ。外れはあるまいとの考えで、明日はそこにも回ることに。さて夕食後の薬も服用したし、時刻も就寝に頃合いだし、今夜は眠れるかどうか試してみよう。お休みなさい(^.^)/~~~

2 件のコメント:

  1. お疲れさまで~す(^-^)/ 睡眠はとれましたか?寒くないですか?ムリしないで!のんびりと旅して下さいね。こっちは寒くて寒くて{{(>_<)}} 気温の差が激しいので、出掛けなくても体調を崩しそうですよσ(--#) そういえば、佐渡には土産物屋さんにジェンキンスさんがいると聞きますが、お見かけしましたか?これって失礼!?不謹慎!?かなぁo((=_ _=))o

    返信削除
  2. 全然失礼・不謹慎でないと思いま~す(^_-)/ 曾我ひとみさんのことは、佐渡滞在中チラッと思いました。が、何処に居るのか見当もつかないので直ぐに忘れました。トキに会いに行くこともチラッと思いましたが、何処に居るのか調べてなかったので直ぐに諦めました。帰りのフェリーに乗るため両津港に向かっていたとき、国仲平野の真ん中を行く道で「トキの森公園」の標識を発見した時、ああここで曲がればトキに会えるんだと思いましたが船に乗って帰るのを優先しました。ちょっと残念だったかなf(-_-;)今朝はすっきり目が覚めました。やっぱり薬の飲み忘れが頭の変調の原因だったのかなぁ。

    返信削除