2016年3月31日木曜日

〇陽気な春の土手を行く、昼休み

↓先日一輪だったタンポポの茎から三輪の花が咲いていた。
 水仙の花もグンと増えた。
 ↓毎春定番の花。残念ながら名前を知らない。物識りな人、教えて下さい。
 ↓菜の花。多分大根の花。
〇春に花が咲きだすと毎年思うんだが、どうして春一番に咲く花々はみんな黄色いんだろう。偶然では決してないと思う。

〇3/21(春分の日)高野山・壇上伽藍←西行の足跡を求めて

↓大門。橋本・九度山方面から登って来ると高野山頂の平の入口にいきなり孤独に建っている。
 ↓大門から1~2km進むと中門がある。この中門、去年落成したばかり。落雷で焼失して永らく放置されていた。
 意外だったのは立派な四天王像が門を護っていたこと。四天門。黒い二体が(多分多聞天と持国天)旧来のもの、赤い二体が(多分増目天と広目天)新造のもの。



 中門を潜ると金堂がある。
 金堂の裏側
 金堂の奥、西側(向って左側)に行くと、先ず御影堂。左端の松は「三鈷の松」
 ↓御影堂
 ↓准胝堂。
 ↓孔雀堂。孔雀明王を祀る。いかにも密教・真言宗寺院。
 ↓左から准胝堂、御影堂、大塔
 ↓鐘楼
 ↓西塔
 ↓御社(みやしろ)拝殿
 拝殿背後
 御社。神が祀られている。
 ↓六角経蔵
 以下金堂奥の東側(向って右側)。大塔
 ↓鐘楼 
 左・鐘楼、右・金堂
 ↓手前・不動堂(国宝)、奥・金堂
 以下、国宝・不動堂。壇上伽藍の建物で雷火で焼けなかったのはこの不動堂だけ。

 ↓不動堂前から見た池
 ↓愛染堂
 ↓大会堂(だいえどう)
 ↓左から大会堂、三昧堂、東塔
 ↓三昧堂。西行がこの堂に籠り理趣三昧に耽ったという。西行ゆかりの御堂。次回に特集。
 ↓東塔
 ↓右から東塔、三昧堂、大会堂、愛染堂(陰で見えない)、大塔
 ↓大会堂と三昧堂。大会堂も西行と縁が深い。
 手水舎
 ↓霊宝館
↓勧学院

2016年3月29日火曜日

〇3/29(火)川べりの春。のどかぁヽ(^。^)ノ

昼食を摂りに行くため鷹合川の土手を歩く。今年一番のタンポポの花を発見。
 気が付けば水仙も咲いていた。
 姫踊り子草もいつの間にか咲いている。
 亀の親子が繋がって泳いでいる。
 昼食を終えて帰るとき、往きにいなかった亀が6匹上陸して日向ぼっこ。のどかぁ!!ここは亀のお気に入りの場所らしい。

〇3/21(春分の日)紀の川市「東田中神社」←西行生誕地に在った神社

〇西行法師像から北上して500m程の地点に、和歌山県地図を見ると「東田中神社」があった。西行の実家が領有していた田中荘の名残の地名だと直感したので訪ねることに。
 ↓案の定「旧竹房一宮神社本殿」がここの本殿。「竹房」はまさに西行の育った地とされる所の地名。「本社はもと田中荘八社の一つで昭和21年頃ここに合祀された。旧地は南南東約1kmの地点にある。」と記されているが、ここから南南東約1kmの地点とはまさに地名で云えば竹房地区。そして田中荘とはまさに西行の実家・佐藤家の領有していた荘。荘内に八神社あったというんだから、田中荘は有力な荘だったろう。

 拝殿
 本殿

〇ボクが西行の生まれ育った地区の辺りに到達したことは間違いない。紀の川市竹房。西行はここから18歳の時に京都に出て北面の武士になった。