2016年3月22日火曜日

〇3/20(日)快晴。土山宿、旧東海道松並木


 ↓「東海道近江国土山宿生里野」
 ↓「是(これ)従(より)右京都十五里 左江戸百十里」
 ↓広重・東海道五十三次土山春之雨」 下枠外に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る。(鈴鹿馬子唄より)」とある。道の駅「あいの土山」の命名の動機・意味が不審だったが、地元では鈴鹿馬子唄の歌詞通りで何の不思議もないらしい。
 ↓旧東海道はこの様に肌色に舗装されていて一見して識別できる。
 ↓左・本陣跡、右・宿問屋跡
 ↓土山家本陣跡

 ↓土山宿問屋宅跡
「近世の宿場で、人馬の継立や公用旅行者の休泊施設の差配などの宿駅業務を行うのが宿役人である。問屋はその管理運営を取り仕切った宿役人の責任者のことで、宿に一名から数名程度おり庄屋などを兼務するものもあった。宿役人には問屋の外に年寄・帳付・馬指・人足指などがあり問屋場で業務を行っていた。」それにしても本陣より問屋宅の方が豪壮。
 ↓本陣に明治天皇が宿泊されたことの記念碑
 〇明治元年九月に明治天皇が行幸されたとき、この本陣で満十六歳の誕生日を迎えられ、近代日本としては初めての天長節が祝われた。この時には土山宿の住民に神酒と鯣(するめ)が下賜され、今なお土山の誇りとして語り継がれているそう。
 〇旧東海道松並木





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