〇午前9時半妙高高原を出発、野尻湖・信濃町を経て信濃川に出て、川沿いに国道117号線を飯山・野沢温泉と辿り津南町に着く。ここで中津川渓谷の秋山郷に入る。入ってみると途中から山道が一車線道路になる。片側が崖でかなり怖い。越後側の最南端の集落「大赤沢」で昼下がりとなったし精神的疲れも溜まったので秋山郷の深入りはここで終止符を打つことにした。信濃(栄村)側の集落は生涯訪れることはないだろう。ここで打ち切ったのには理由がある。大赤沢に「山源」という名木彫刻の店がある。そこに「ご自由にお持ち帰り下さい」コーナーがあり数種類の秋山郷の景勝名所の案内資料が置いてあった。それを入手したらこの先を探訪する必要がなくなった気がしたのだ。実際初めての探訪で気苦労を重ねた末に景勝名所に回り逢えるかというとあんまり期待できない。それよりもヴェテラン・通・プロの人の写真成果に頼る方がはるかに優れた効率的な取材方法だ。今の時代、それらの成果をスキャン・デジカメでパソコンデータに取り込むのは容易。大赤沢で探訪を打ち切ってもそれで目的は(多分)十分達している。今回の探訪で自ら得た成果。「見玉(みだま)不動尊」「中津川の断崖絶壁に露出した苗場山噴火の痕跡(柱状節理)」「猿飛橋」「前倉橋」「苗場山全容」「鳥甲山」(この二つの山に囲まれた谷間に秋山郷は開かれた)「山源の名巨木」「蛇淵(へびふち)の滝」そして何よりも「山源で入した貴重な写真資料」(断崖絶壁公園の駐車場の小屋のガラス戸に貼り出されていた景勝ポスター2枚も掘出し物)。
〇この後、十日町・小千谷・川口を経て「山古志村」に入った頃は午後も深かった。山古志村(今は長岡市)で探訪した主なものは三つ。一つ目は「錦鯉」の養殖。養殖業者の一軒を覗いて見た。特筆すべきは錦鯉の名品が長岡市山古志支所の玄関横の生簀で飼われていること。観光バスがわざわざ山古志支所に乗りつけて乗客に生簀を覗き込ませていた。二つ目は「闘牛場」。ボクの探訪したのは「山古志闘牛場」だが、驚いたことに山古志村には全部で五つも闘牛場があるのだ。これでは初夏から秋までのシーズン中は毎週どこかで闘牛が開催されていることになる。凄い情熱だ。山古志闘牛場は小振りの本格的なスタジアムとなっている。ここから見えた越後三山(左から越後駒ヶ岳・中岳・八海山)も目に焼き付いてる。三つ目は中越地震で水没した木籠集落。地震で大崩落した土砂に谷川が堰き止められてダム化して谷底の集落が水没したらしいが、今はその面影がない。高台に建っている新住宅が復興住宅らしいが数が少ない。村を去った人達も多そう。
〇帰りは柏崎に出、北陸自動車道に乗って戻った。帰着、7時半。明日日曜日は休養と資料整理。
2018年5月27日日曜日
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