2009年6月20日土曜日

遂に「真下慶治記念美術館」テラスで最上川大淀風景を描写、念願を果たす!

2009年4月29日(水)《昭和の日》
「道の駅むらやま」でバイキング朝食を摂ってご機嫌。愈々絵を描くために大淀に向かって出発。「真下慶治記念美術館」に入館したら画伯の奥様が居て歓待してくれた(昨日の男性職員は休日だったが話は伝わっていた)。10:30頃、テラス屋外に陣取り念願の最上川大淀風景の写生にかかった。僕は、風景画は油彩で描くがこの頃キャンバスは使わない。紙ボードに描く。ボードのサイズは、キャンバス換算でP10号弱といったところ。眼下の大淀風景は最上川がUカーブを描いて流れている雄大な構図なんだが、このU字型の雄大な流れをP10号弱ボード上に取り入れると物の描写が細か過ぎてしまう。結局U字型の構図は断念。いつかまた大きなボードを用意して来てU字の流れを描こう。

「真下慶治記念美術館」館長は画伯の奥様の真下清美氏。彼女は後妻さんで(先妻は病死らしい)画伯と30歳も齢が違う。画家真下慶治は現場主義を貫いたが、真冬の最上川を描く仕事は夫婦二人三脚の壮絶な闘いだったらしい。画伯の逝去は79歳、その時彼女は49歳。以来彼女は、画家真下慶治の人物像と画業の顕彰に人生を捧げている。だから「真下慶治記念美術館」を訪れる人は大事にして貰える(*^^)v。特に僕は以前に石川一水会の写生旅行の一員として美術館を訪れそのとき目にした風景が忘れられずに再訪したというのだから歓待された。絵を描いた後、大淀風景を背景に角度を変えて何枚も僕の写真を撮ってくれた。

真下清美さんは石川一水会一行のことをよく憶えていた。江守マリ子さん、松下久信さんによろしくお伝え下さいとのこと。奥様から画家真下慶治が大淀で描いた三大ポイントを教示して貰った。うち二点は既に自分で探索済みだったが、「隼(はやぶさ)or早房」のポイントには到達できていなかった。「隼」への道は先日一度探索に足を踏み入れたが断念した荒地の先だった。画伯は川縁に小屋を建てて100号キャンバスに挑んだそう。小屋の基礎らしきものは発見したが、そこから見える風景は絵の風景と違い過ぎた。落日が迫ったので「はやぶさ」探索を断念。きっとまた来て挑戦する。さて今夜何処で野宿するかだが、明日は平日で高速料金をまともに払うことになり頭に来るのでもう日暮れは近いが今日「昭和の日」のうちに山形県村山市を出発し、新潟県中条ICから高速に入ることに。大江町で真丸の赤い夕陽が出羽山地の山の端に没した。夕陽って本当に丸い。長井市街を過ぎた辺りで夜陰となった。山形盆地の西端を只管南下し、米沢街道との分岐点で小国街道に入り只管西進。十文字という交差点で国道7号線に入り南下。三日月を西空低く日本海の上に見る。これぞ三日月、太からず細からず。中条ICに入る頃には高速道のPA・SAのレストラン・売店の閉店が予想される時刻になっていたのでコンビニに寄り夜食を仕入れた。中条ICから新発田・新潟・長岡・柏崎・上越JCTと走って上越高田ICで国道18号線に下りた。そして23:30「道の駅あらい」に到着。ここは、上信越自動車道新井PAと合体した大規模な道の駅。スーパーホテルまで寄生している。新井市は妙高高原町と合併して今は妙高市。明日は妙高高原で一枚描き、それからどうするかはそのときに考える。

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