2009年11月11日水曜日

那智の滝は、寒冷前線に伴う本降りの中で参観。青岸渡寺。


雨中、那智山に深く分け入る。夕暮れ間近の山々に雨霧がかかり、情趣があるがもの寂しい。











遂に「那智の滝」の入口に立った。





















































鳥居からこの石段を降りて来る。













































熊野那智大社・別宮「飛瀧神社」。



























































山上の三重塔に至るため石段・坂道を登りに上った。心臓に応えた。











































































































僕は「三重塔」のある所が「那智大社」だと思って必死に上った。しかし、三重塔は阿弥陀堂(納骨堂)の傍にあった。大体、神社に三重塔があるなどと聞いたことがない。「那智山」とは「青岸渡寺」の山号なのだ。神仏習合の時代はこの辺りも那智大社の領域だったろうが。折角上って来たのに、「那智大社」は何処だ。山上には遂になかった。
「那智山・青岸渡寺」




































































青岸渡寺
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「青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院。西国三十三箇所第一番札所。山号は那智山。本尊は如意輪観世音菩薩。2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。後に推古天皇の勅願寺となり、6世紀末 - 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。近世までは隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であり、「如意輪堂」と称された。明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。」
暗闇の中、やっとこさ登った山を濡れ鼠になって降り、それからセレナに乗って「那智大社」を探した。観光土産店が建ち並ぶ通りにもう人影はなかった。観光道路の奥に「那智大社」参道の案内を発見。参道は上りの石段だった。寒さと疲労で心臓が参っていた、僕は「那智大社」の参観を断念した。「那智の滝」は見た、滝と三重塔の構図もみた、「那智大社」を参観してもどうせ絵の構図は見い出せない。今回はもうこれでよかろう、そう結論を出しても悔いはなかった。このあと、今夜の野宿地を決める旅に出た。新宮市に戻り、明日の目的地・熊野本宮大社を目指した。道中に道の駅が確かあった筈。あるにはあったが気に入らず、結局「熊野本宮大社」の駐車場に入り込んでしまった。今夜はここで野宿するしかない、そう決めて寝た。「ゴトビキ岩」と「那智大社」が宿題として残った。多分また来る。七里御浜(しちりみはま)で小石拾いに時間を使ったことがそのあとに響いた、しかしあれは楽しかった、悔いはない。

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