2009年11月26日木曜日

無宿流浪の旅、続行中。えっ、いつの旅のことや?と戸惑われた方は隆君に対する認識が甘いf(^_^;)


土曜日の夕暮れ時に「永平寺」を見学してその夜は「南条SA」に宿泊し、翌日午前に近江の「余呉湖」で絵を一枚描いたあの旅の続き。土曜日の午後に出発して今日は木曜日だから、もう6日経った。余呉湖の後、湖東の「永源寺」と「金剛輪寺」の紅葉を見学した。それは見事な紅葉で感動させられた。今日はせめて永源寺の紅葉の写真を上程したい。その次に金剛輪寺の紅葉。永平寺は順序的には先だが、夕暮れと重なり暗い写真ばかりなので後回し、それも多分最後、暇があったらの話f(-_-;)。金剛輪寺で日が暮れて、彦根ICから乗った名神高速で雨の中大渋滞に突っ込んで悲惨な目に。たかが3連休で浮かれ出やがってこのバカ野郎共がと怒ったが自分も同じ穴の狢の様でアホ臭かったので、さっさと最初のPAに入り込んで寝た、それが「伊吹PA」。翌朝・月曜日、目覚めると雨が止んでいた、が靄が酷かった。伊那谷に入るつもりが中津川で気が変わり、木曾谷に入った。そして上松で木曽山脈を背景に絵を1枚描いた。その夜は木曽路の道の駅で寝るつもりだったが、どこもかもネットに繋がらないので不可。塩尻に抜けてしまったので仕方なく「ルートイン塩尻北」に宿をとった。そして妻にメール送信、「旅を続ける、戻らなくても事故を起こしたわけではないから心配無用」。妻は呆れ返ったことだろう、「ソラオソロシクなってきたわ」と返事があった。翌日・火曜日、伊那谷に入り駒ヶ根市・天竜川東岸の火山(ひやま)という在所で木曽山脈を遠景にした絵を描いた。リンゴの実を未だ鈴生りに付けた樹が沢山あって、それと山脈との取り合わせに心を動かされた。その夜の宿だが、伊那谷の道の駅は飯島町に一つあるだけ(旧長谷村にもあるが、圏外)、それを探しながら南下したが案内標示が見当たらず、仕方なしにルートイン飯田に泊まることにした。念のため飯田の手前で空室状況を検索したら×印。伊那に当たったら○印。ルートイン・コート伊那に予約を入れて逆走。翌日・水曜日、天気は好いのだが山に雲が取りついて動かない、絵にならない。そこで「高遠城址」を徹底的に探究することに。というのは高遠には何度か行ったが絵になる所を発見できないままになっていた。中村琢二(僕の絵の先生・八野田博の師匠)は毎春桜花の季節になると高遠城址で遠景に中央アルプス或いは南アルプスを取り入れた構図で絵を描いたそう。その風景を発見できず仕舞いでは生涯の悔い、という訳。観光客は僕独りという状態で、思う存分歩き回った。本丸・二の丸・三の丸、幾つかの郭・曲輪(くるわ)、外周。花と紅葉の時季はそれは見事だろうと思わせる桜公園だった。肝腎の絵になる地点は、何せ山脈が雲の中なのと樹々が裸なので想像するしかなく確信は持てなかった、が心当たりが無くもない。高遠から旧長谷村を通り分杭峠(ぶんぐいとうげ)に出た。この峠、冬場は冬タイヤでも越えられまい、最大斜度13度、恐ろしかったぁ(>_<)。峠で直角に折れて(直進すれば大鹿村)駒ヶ根に降りた。麓に来たら思い懸けず雲の取れた中央アルプスの山並が目に入った。絵になる構図を幾つか発見、収穫のあった日。そして今日・木曜日、妻が一日休診日なのでハリアーで安曇野に出掛けて来るという。大王わさび園で落ち合い、わさびアイスクリームを一緒に食べて別れることに。絵の方は、今日も山に雲が取りついていて山の絵は描けない。川の絵も木々が裸で寂しい風景。大王わさび園の川縁でイーゼルを立てたが気合いが入らないまま、妻と逢い、セレナの中で昼寝をしたりなどしていたら四時には太陽が山の蔭に隠れてしまった。絵は中途半端で完全に失敗、撮影するまでもない状態。こんな失敗は珍しい。気合いが全然籠ってない。何事も気合ダァ(`´)気合ダァっ!明日はもう金曜日、風景画を描けるのは今年はもうあと実質二日間。このままでは終われない(`´)今日、日が暮れるときいつしか山の稜線がくっきりと輪郭を見せ山の端が夕焼色に彩られていた。明日は中央アルプスを背景にした構図で絵を描けるだろう。現地で一踏ん張りしよう、それぐらいの元気は未だあるだろうて。
旅のこれまでの経過にちょっと触れるつもりが大分長くなった。それで「永源寺」の紅葉の記事は別稿で上程することに。

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