後日知ったんだが、このときの暴風で鎌倉・鶴岡八幡宮の大銀杏が根元から倒された。公暁が実朝を刺殺した悲劇の舞台となった大銀杏、それが夜中に誰にも看取られずに孤独な最期を遂げていた。鎌倉市民の多くは、暴風雨の夜に独りで逝った大銀杏の変わり果てた姿に涙したそう。その同じ暴風雨に曝されて、僕は室戸岬近くの道の駅で翻弄されるセレナの中で独り夜を過ごした。僕は大銀杏と共に荒らぶる天の神さんの声を聞いた。それがどうしたと言われれば、それだけの話f(-_-;)、単なる僕の感慨。
2010年3月31日水曜日
3/21(日)、昨夜は暴風雨の中の野宿となった(>_<)
昨日はいきなりの阿波踊りから始まって、暗闇の薬王寺探検まで、徹頭徹尾偶然と気紛れに支配され足の向くまま気の向くままに旅した一日だった。その最後がまた凄まじかった。薬王寺探検から道の駅に戻ってセレナに乗り込んだら、途端に暴風雨が襲来。その雨と言ったらセレナの天井が打楽器の様な音を立てる豪雨だし、風と来たらセレナのヤツがスイングしやがる暴風f(~_~;)。このセレナの中で、コンビニで仕入れておいた晩食を摂り、それからデジカメのデータをパソコンに移しeメールをして寝袋に潜り込んだ。凄まじい暴風雨は治まる気配がなかったが、僕はそんな環境雰囲気が性に合っているのかよっぽど疲れていたのか分らないが、いつの間にか眠っていた。それがまたよく寝れたf(^^ゞ目が覚めたら07:00。昨夜の暴風雨が嘘の様にケロッとして雨が上がり、無風\(^o^)/まさに明日(あした)は明日の風が吹く(*^^)v今日も―天気予報は雨だったが―好い日になりそう(*^^)vこの旅は巡り合わせが絶好調!(^^)!(*^^)v好い写真が一杯撮れそう\(^o^)/
第23番・薬王寺
今度の旅行の後半は、土佐の東半分を海岸伝いに巡った後山中を突っ切り再び徳島に戻って南海フェリーを利用して徳島市から和歌山市に一気に渡り、南紀の西半分を回って帰ろうという計画も念頭にあった。それで徳島市内をフェリー乗り場の下見をするために走り回った。着いたのは東九フェリー乗り場。この会社は東京便と北九州便を就航させている。埠頭が全然違った。今回の旅行、フェリーとは縁がないと決まったも同然。セレナのハンドルを南の方・室戸岬方面に切ったのは、陽が大きく西に傾いた頃。あとは一路室戸岬を目指す。が、遠い(>_<)。小松島市、阿南市を経過したら日が暮れた。晩八時過ぎ、美並町の道の駅「日和佐」に到着。雨が降ってきていた。ここを今夜の寝宿に決定。それにしても天気予報では週末の天気は最悪の筈だったのに、今日土曜日は実に好い行楽日和だった。
セレナを駐車させて下りたとき、目に飛び込んできた夜景が僕を感動させた。それは、夜空にライトアップで浮かび上がった不思議な塔。第23番札所・薬王寺と知り、迷うことなく探訪に出た。
医王山・薬王寺
薬王寺の門前風景。
仁王門
門を潜ると直ぐに石段。
女厄坂33段を上る。
男厄坂42段を上る。
楠の大木が2本並んで不気味に佇立している。夜闇の中に奇怪な腕を伸ばした楠の姿は普通なら恐怖を喚ぶ、が、僕は見分に余念がないから恐怖とは無縁。ここで老いた小使いさんが懐中電灯を持って見回り来たのと鉢合わせ、時刻は晩の8時半。老人はジッとこちらを窺って動かない。やおらその口を突いて出た言葉が‥‥「ご苦労さん」。このときの僕の服装はきちんとスーツを着て紳士帽を被りカメラを肩にしていた。人は身なりだなぁ、そう思った。老人は見回りを続け、僕は暗闇の中で取材を続けて時折フラッシュを焚いた。
本堂
本堂の後ろにライトアップされた塔があった。この塔は、道の駅で僕の心を捉えたあの神秘的な塔とは別モノ。
大師堂
地蔵堂
地蔵さんが並んでいる。
霊牌堂。屋根の上に、ライトアップされた神秘の塔が頭を覗かせている。
還暦坂61段
瑜祇(ゆぎ)塔
魚藍観音
帰途に見たライトアップされた日佐和城。ライトアップが好きな町。
とにかく夜の薬王寺に魅せられて、またお遍路の旅心に火が点いたf(^^ゞ
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