2010年3月8日月曜日

『椿庵』の亭主

















ギャラリー『椿庵』に到着。亭主は彫刻家『吉田隆』氏&陶芸家『吉田洋子』氏。看板に『雪山』の銘があった。吉田雪山氏に違いない、七尾土着の著名な彫刻家、吉田隆氏の尊父。















入口で吉田隆氏の作品が客人を迎えてくれる。















↓これは、吉田家の長女『もも』さんの誕生記念に『吉田雪山』氏(祖父)が七尾の街の植木市で買ってきて植えてくれたという桃の木だろうか←後で確認したら、これは梅の木f(-_-;)。未だ蕾。背景の建物は工房。















この木を撮っていたら、椿庵から若い女性が出て来て目で会釈し、それから彫刻工房の戸を開けて姿を消した。金沢美大彫刻科に入学した『もも』さんだと分った、初めての出会いだが。彼女の母・吉田洋子氏のブログに度々登場するので、読んでる僕の方は顔馴染み。
↓水盆の中に散らしてあるのは椿の花。黒い建物が『椿庵』。

























































白梅&まんさくの花↓。
















いよいよ『椿庵』の入口近し、という感じ。ちょっと緊張f(^^ゞ 
緊張するのは、ここの亭主『吉田洋子』氏が只者でないから。実は彼女と女房は小松高校の同窓生で、女房は彼女の情報をなんやかやと持っている。彼女の生い立ちや結婚などにまつわる女房の話は数奇・劇的・痛快無比でまるで小説・物語のよう。話だけでない、僕の脳裏には彼女の強烈な印象が残っていた。それは三女(末っ子)が幼稚園児のときだから今から20年より前のこと。彼女の長男も同じ幼稚園児だった。或る夏の宵、幼稚園の納涼盆踊りがあって、彼女は着物姿で踊った。その着こなしも踊りっぷりもまるで浮世絵から抜け出した様に艶やか。目を奪われたのは僕だけではなかった、彼女は金沢の着物女王だという噂が耳に入った。
そして彼女の先日のブログ記事。

70歳の晴れの舞台

「昭和8年生まれの母が70歳を目前に金沢音楽堂の邦楽ホールの舞台に立ちました!今から8年前!今年77歳です。あの時も坐骨神経痛で舞台の前日に立てなくなりあきらめかけていたのですが奇跡的に最後までこの重い本衣装を付けて踊ることが出来ました。小学生だった娘たちも幕が上がった時、ちゃーちゃんのあまりの変わりよう?に目が点になっていました。母は小さい頃より踊りが好きでこの舞台の踊りも素晴らしいものでした。13歳のときに中国より引き揚げておじいちゃんの実家がある小松に命からがらたどり着いたそうです。肝心のおじいちゃんはシベリアに抑留されていて、それはそれは苦労したようです!高校生のときも学費が払えず、学校の帰りに出げいこをして学費を稼いでいたそうです。娘の私が言うのもおこがましいのですが母の踊りは本物です。3年ほど前より骨折したり、狭窄症で足腰がめっきり衰えてしまいましたが何とかこのときのことを思い出して今を乗り切って元気になって欲しいものです。」
この写真を見て感動。70歳にして完全に絵になっている。この人の若いときはさぞや浮世絵的世界を現出させたことだろう。この母にしてこの娘(こ)あり。
僕は何処でも遠慮なく写真を撮るが、『椿庵』ではいつになく遠慮が先に立った。只者でないと思っている女性に対してつい表敬したのだろう。『椿庵』で抹茶とウーロン茶をお呼ばれし、作品を長時間堪能させて貰った。が、結局庵の中では一枚も撮らず終い。長女の『もも』さんが現れた。親子で硝子戸越しの林に遊びに来る鳥達の話をしていた。「昨夜フクロウが来てたよねぇ」「ホッホーて鳴いてたよねぇ」その時だった、洋子氏が言った、「あっ、ヒヨドリが来たっ」僕は慌ててデジカメを手にして撮った。椿の花をつついていた。



































ヒヨドリ 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Brown-eared Bulbul 1.jpg
花瓶を一つ購入。光の反射が面として楽しめそうで、花を生ければ面白そう。近々椿の赤い花を生けて描いてみよう。
『もも』さんは性に合った道を歩んでいるように見えた。環境は最高。きっと幸せになる、芸術家になれる。

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