2015年6月5日金曜日

〇《奥の細道》紀行・出羽路(2) 屈竟(くっきょう)の若者を頼んで「山刀伐(なたぎり)峠」を越える。

奥の細道》より、
(封人の家の)あるじの云ふ「是より出羽の国に、大山を隔てて、道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて、越ゆべきよし」を申す。さらばと云ひて、人を頼み侍れば、 屈竟(くっきょう)の若者反脇指(そりわきざし)をよこたえ、樫の杖を携へて、我々が先に立ちて行く。けふこそ必ずあやうきめにもあふべき日なれと、辛(から)き思ひをなして、後ろについて行く。あるじの云ふにたがわず、高山森々として一鳥(いつてふ)声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行くがごとし。雲端につちふる(土降る)心地して、篠の中踏み分け踏み分け、水をわたり、岩に蹶(つまづい)て、肌につめたき汗を流して、最上(もがみ)の庄に出づ。かの案内せしおのこの云ふやう「此のみち必ず不用の事有。恙なうを(お)くり(送り)まいらせて、仕合せしたり」と、よろこびてわかれぬ。後に聞きてさへ、胸とゞろくのみ也。
このくだり、《曾良随行日記》によれば、
『‥‥。堺田ヨリ案内者ニ荷持たセ越す也。‥‥』と素っ気ない。
〇この場面も、芭蕉の文学的創作によって劇的に構成されている可能性がある。
↓現在の「山刀伐峠」。バイパス


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