2019年5月31日金曜日

〇5-1(水) 長門市「千畳敷」

wikiより
千畳敷(せんじょうじき)は、山口県長門市日置中に位置する草原台地日本海に面した向津具(むかつく)半島付け根部の頂上(標高333m)に広さ約26,400平方mの草原が広がっている。北側には日本海が一面に広がり、萩六島村見島が見渡せ、風光明媚な場所として近年注目されている。また、半島の頂上部にあり、この一帯では常時強風が吹いているため、中国電力をはじめとする風力発電用の風車が複数設置されている。毎年夏にはマウンテンバイクの耐久レース「汗汗(かんかん)フェスタin千畳敷」が開催されていることでも知られている。頂上部には、公園や喫茶店がある。↓wiki写真
以下、自撮り



 ↓青海島(おみじま)。手前、向津久(むかつく)半島


↓青海島の砂洲

2019年5月30日木曜日

〇5-1(水) 長門市「元乃隅稲成(もとのすみいなり)神社」今度の旅行の眼目

元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)は、山口県長門市油谷津黄にある神社。旧称は元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)。
宗教法人ではなく、神社本庁・山口県神社庁には所属していない。
長門市観光協会の紹介によれば、1955昭和30年)に、地元の網元であった岡村斉の枕元に白狐が現れ「吾をこの地に鎮祭せよ。」というお告げがあったことを元に、太皷谷稲成神社島根県津和野町)から分霊され、元乃隅稲成神社として建立されたという。全国の稲荷神を祀る神社が「稲荷神社」と記すのに対し、「稲成神社」の字を充てていたのはこのためである。







 神社から日本海側に見下ろした先には、断崖下の海蝕洞に荒波が打ち付ける度に海水が中の空気と一緒に吹き上がる現象が見られる「龍宮の潮吹」があり、神社の間に1987(昭和62年)から10年かけて奉納された123基の朱色の鳥居が、龍宮から100メートル以上に渡り並んでいる。

 ↓先端部、龍宮の潮吹きの傍の平地に出た。


 ↓龍宮の潮吹きは、左側の岩にあるらしい。

 荒波が寄せる日に、左にある岩穴から潮が吹き出す仕掛けらしい。

 また、裏参道出口付近にある大鳥居の中央上部(高さ約4m)に設置された、「日本一入れづらい」とも言われる賽銭箱は、見事賽銭を投げ入れることが出来れば願いが叶うと言われている。


 ↓これが神社本殿らしい。今やその名が全国区になったにしては、小っちゃな御社。そのアンバランスぶりがユーモラス。


↓中央に元乃隅神社がある(赤いものが見える)。右手前が油谷津黄漁港。結構盛んな港
アメリカのニュース専門放送局・CNN2015(平成27年)3月に発表した「Japan's 31 most beautiful places」(日本の最も美しい場所31選)の一つとして選ばれた。これをきっかけとして外国人を含む観光客の参拝が急増したが、長い社名が外国人にわかりにくいという事もあり、2019(平成31年)1月に社名が元乃隅神社に改名された。神社本庁によれば、神社の改名は「基本的にはない」というが、創建時に宗教法人格を取得しておらず、鳥居等の扱いとしては「岡村家の個人所有物」ということになるため、改名は自由であるという

2019年5月29日水曜日

〇5-1(水) 長門市三隅町湯免(ゆめ)「香月泰男美術館」「シベリアシリーズ」の画家

〇香月は、創作活動のほとんどを「<私の>地球」と語った三隅町の自宅で行っていた。1969、「シベリア・シリーズ」で第1回日本芸術大賞を受賞する。没後、遺族によりシベリア・シリーズ57点のうち45点を山口県へ寄贈、残り8点が山口県に寄託され、1979開館の山口県立美術館に展示されている。その泰男の功績をたたえる目的で、19931026に、生家に近い三隅町湯免三隅町立香月美術館として開館。2005に三隅町の合併により香月泰男美術館に改名の上、長門市に運営が移管された。最晩年まで香月の手元にあった作品や、香月のアトリエ(復元)などが展示されている。なお、香月泰男美術館ではシベリア・シリーズの一部について常設展示を県に希望しているが、専属の学芸員が館にいないことを理由とし山口県が難色を示しており、完成作の展示が出来ない
また、画作の一方で油絵の作品の他、晩年は海外での風景作品や身の回りの針金、空き缶などを再利用して製作した子どものためのおもちゃが複数あり、これらも同様に展示されている。
□館内撮影禁止



 ↓「シベリアシリーズ」から

△肝腎のシベリアシリーズは一点も展示されていなかった。シベリアシリーズ作品は美術館に一点も残されていないらしい。作品を寄贈・寄託した山口県が香月泰男美術館に一点も貸し出してくれないそうで、これでは主客転倒、美術館も観客も不本意。

2019年5月28日火曜日

〇5-1(水) 萩市「大照院」重文4棟、毛利氏偶数代藩主墓地

大照院(だいしょういん)は、山口県萩市にある臨済宗南禅寺派寺院である。
延暦年間(8世紀末 - 9世紀初)に月輪山観音寺という前身寺院があったというが、創建の事情は定かでない。その後鎌倉時代末期に建長寺の義翁和尚が大椿山歓喜寺と改め、臨済宗の寺院とした。その後荒廃したが、萩藩2代藩主毛利綱広が亡父の初代藩主秀就の菩提寺とするために承応3年(1654)から明暦2年(1656)にかけて再建し、その時秀就の法号にちなんで霊椿山大照院と改めた。
寺は延享4年(1747)に火災に遭い、現存する本堂等は、その後6代藩主宗広によって再建されたものである。
境内の萩藩主毛利家墓所は国の史跡で、初代(萩での藩主の代数は輝元を初代とせず、秀就を初代として数えている)秀就、2代綱広、4吉広6宗広8治親10斉煕12斉広2代から12代までの偶数代の藩主と夫人や藩士の墓石があり、墓前には藩士が寄進した石灯籠が600数基ある。
ちなみに奇数代の藩主の廟所は萩市内の黄檗宗寺院東光寺にあり、秀就の父輝元の廟所は萩市の天樹院跡にある。

重文・本堂

重文・経蔵

重文・書院


書院に安置された重文・赤童子
「赤童子」とは天孫降臨の時の使者として知られている天児屋根命(あめのこやねのみこと)で、春日社の祭神の一つといわれている。‥」
庭園。紅葉が美しいだろう
庭園から見た本堂裏側と経蔵
重文・庫裡

〇外に重文鐘楼がある。
史跡 萩藩主毛利家墓所

〇偶数代の毛利藩主が葬られている。奇数代は、先に紹介した「東光寺」に墓地がある。