2019年5月25日土曜日

〇4-30(火) 萩市「東光寺」重文四棟

東光寺(とうこうじ)は、山口県萩市にある黄檗宗寺院
吉田松陰誕生地近くの萩市大字椿東椎原[1]にあり、元禄4年(1691萩藩3代藩主毛利吉就が建立した。吉就は若くして黄檗宗に帰依して、本山黄檗万福寺に範を求めて広壮な堂を建立。萩出身の高僧・慧極道明禅師を開山に迎えた。吉就の死後、ここを墓所とし毛利氏菩提寺となった。
中国時代の末から時代の末にかけての黄檗伽藍様式。元禄6年(1693)頃建立の総門、元禄7年(1694)頃建立の鐘楼、元禄11年(1698)建立の大雄宝殿、文化9年(1812)建立の三門の4棟の建造物が重要文化財に指定されている。
↓重文・総門

 ↓重文・三門(楼門)


 ↓重文・大雄寶殿(本堂)


  
↓重文・鐘楼
 ↓方丈

 元治甲子殉難烈士墓所
元治元年(1864年)、京都の禁門の変により幕府への謝罪のため、岩国で自刃した福原元、徳山で自刃した益田親施国司親相3家老。
反対派により萩野山獄で処刑された宍戸真澂山田亦介前田孫右衛門竹内正兵衛(享年46)、毛利登人松島剛蔵中村九郎佐久間左兵衛(享年32)、大和弥八郎渡辺内蔵太楢崎弥八郎(享年28)ら十一烈士。俗論党のために萩で自刃を命ぜられた清水清太郎。幕府の萩征伐の起因の責任を感じて山口で自刃した周布政之助。これら身をもって難に殉じた藩士のために明治29年(1896年)に建てられた慰霊墓所。



毛利氏廟所 萩藩主3代(萩での藩主の代数は輝元を初代とせず、秀就を初代として数えている)毛利吉就、5吉元7重就9斉房11斉元の奇数代の藩主の5基と、それぞれの夫人の合計10基の他、側室など近親者20余基がある。また、重臣諸家の献上した石灯籠500基が並んでいる。国の史跡に指定されている。なお初代秀就と偶数代の藩主は萩市の大照院に廟所がある。秀就の父・輝元の廟所は萩市の天樹院跡にある。








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