2019年5月15日水曜日

〇4-29(月) 国宝「松江城」

国宝指定に向けてWikiより

昭和30年代に、国宝指定に向けての運動や陳情があったが国宝指定には至らなかった。松浦正敬が松江城の国宝指定も公約に掲げて松江市長(2期目)に当選した2009年(平成21年)以降は、「松江城調査研究委員会」や「松江城を国宝にする市民の会」を立ち上げるなど、国宝指定に向けての調査・運動が活発化していた。懸賞金を掛けて史料を探していたが平成24年に松江神社で国宝指定に重要な、築城時期を特定できる「慶長拾六年正月吉祥日」などと書かれた祈祷札が見つかった。2015年(平成27年)5月15日、文化審議会が松江城天守の国宝指定について文部科学大臣に答申。同年7月8日の『官報』告示をもって国宝に指定された。
↑この濠は搦め手(裏側)にあたる。下の絵図で示せば、緑の広い区域にあたる。

築城

近現代

  • 1871年明治4年):廃藩置県により、廃城となる。
  • 1873年(明治8年):廃城令が公布され、天守を除く建造物は4円から5円(当時の価格)で払い下げられ、全て撤去された。天守も180円で売却されることとなったが、出雲郡の豪農の勝部本右衛門や元藩士の高木権八が同額の金を国に納める形で買い戻され、保存されることとなる。
 ↓北の門(裏門)に着いた

 乾(いぬい、戌猪・北西)櫓跡
 〇国宝松江城。北西方向(裏側)から見ている。
 西側(真横)
 南西から見ている

 南側(正面)から見ている


  ↓本丸から二の丸に下りる。一の門を潜る

二の門跡

 ↓二の丸下の段と呼ばれる平地。藩士の扶持米を保管する倉庫群等があった。

 ここが大手口だろう
 「国宝・松江城」
 堀尾吉春公銅像
 内濠


0 件のコメント:

コメントを投稿