「龍田大社」は、「道の駅・大和路へぐり」を定露営地にして以来、近傍にあるので探訪しようと志して果たせていなかった神社。セレナの超古ナビを頼りに行くと、斑鳩の里の「龍田神社」に行き着いてしまう。龍田神社は、聖徳太子が法隆寺を建立するとき、その守護神とするため、龍田大社の神を分祀して祀ったと、大社側の由緒略記では説明している。それがとうとう、大社が生駒郡三郷町に所在することを突き止めた。大社を目指すうち、竜田川がその先、大和川に注いで終わることも分った。竜田川は平群の谷を穿っているが、この平群の谷こそ、古代氏族・平群氏の本拠地。平群氏は、聖徳太子と縁が深い。平群の谷・竜田川の東に盛り上がる丘陵・山を一越えすると斑鳩の里で法隆寺が建っているが、その中間の丘陵・山の尾根を北に辿ると「松尾寺」「矢田寺」などの古刹が繋がる。これらの寺々は修験道と深い関係がある。
旧社格が「官幣大社」と格式が高いのは意外。古代には天皇家と縁があったのだろう。
拝殿が見えてくる。
拝殿。拝殿前に臨時の祈祷所が設けられている。これは、天皇陛下が病をおして渡英し英国女王の在位60年記念式典に参列されているが、陛下が無事日本にお帰りになられることを全国の神社でこの朝一斉に神に祈った跡なのだそう。あとで述べるように、吾輩に破格の親切を示してくれた老神主さんが教えてくれた。
↓ 拝殿の後ろに鳥居と垣根があり、本殿境内を隔てている。この鳥居の前に進み出ることは、また別の垣根が前面周囲に廻らされていて不可能。本殿は近づくことはおろか、その姿を垣間見ることもできない。写っている小社はいずれも摂・末社。
この時だった。平服の齢・優に80歳を超えている老人が「あなたはどこから来ましたか」と問うたので「石川県」と答えると、「ホホゥ、そんな遠い所からお参りに来てくれましたか」と言って手招きし、それから内密のルートで吾輩を本殿境内に案内してくれた。吾輩は「総代さんですか?」と御老人に問うた。「神主です」、それが答えだったが、宮司に違いない。吾輩は失礼を詫びた。↓ 摂社・末社が並ぶ本殿境内の最奥に勅使門が建ち、その奥に本殿が二棟並んで建っていた。
門には、菊の御紋章がついていた。
勅使門の奥の本殿・二棟。
大社の由緒略記の本殿写真。向かって左の本殿の祭神は「天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)・別名志那都比古神(しなつひこのかみ)」、右の本殿の祭神は「国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)・別名志那都比売神(しなつひめのかみ)」。天と地の間即ち大気・生気・風力を司る神様で「風神」と申し上げると由緒略記にある。左の社殿の方がやや高いそう。
本殿境内に鎮座する摂社。本殿に向かって左側に並ぶ。左から「龍田比古命(たつたひこのみこと)」と「龍田比売命(たつたひめのみこと)」を祀る。千木(ちぎ)の先端が、左の社殿は垂直に削がれ、右の社殿は水平に切られている。それが祭神の雌雄を表す。吾輩が千木先端の削がれ方の相違を指摘すると、老神主がさすがという顔で褒めてくれた。左の男神の社殿の方がやや高いそう。
右側に並ぶ末社・三殿。左から、上座に「天照大神」「住吉大神」の相殿、中座に「枚岡大神」「春日大神」の相殿、下座に「高望王のお妃」という。
旧神楽殿
↓末社・龍田恵美須神社
石が御神体
白龍神社
三室稲荷神社
↓ 龍田山にある御座峰。龍田大社の神様が御降臨された聖地という。
老神主さんが、帰りに社務所に寄りなさいと言ってくれたのでその通りにすると、社務所の人達が親切にしてくれ由緒略記など一式を用意してくれていた。老神主さんが「廣瀬大社」にも寄って行きなさいと教えてくれたが、カーナビで幾ら探しても表れないので諦めて斑鳩に向かった。そうそう老神主さんは、諏訪大社に7年間居た、熊野那智大社にも居たと話していた。吾輩は諏訪4社(本宮・元宮・春宮・秋宮)、熊野3社(本宮・速玉大社・那智大社)を見聞のため回ったf(^_^;)。
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