2016年5月15日日曜日

〇5/1(日)神戸市北区櫨谷(はせたに)「如意寺」 重文三堂塔が静かに建つ

〇如意寺は訪れてみれば分るが不思議な寺。一見して古刹。中世建立の三つの堂塔が清楚な姿で建っている。いずれも重文。観光寺院と全く無縁であることは、この寺に来る道筋で分る。櫨谷の寺に通ずる旧道は細くてバスは通れない。乗用車一台がやっと。
↓仁王門があった。この辺りはまだ道が広い(一車線だが)。
 ↓仁王像は両眼とも抜け落ちている。多分水晶玉が入っていた。鎌倉時代制作の唯一の大型塑像

 ↓如意寺の境内入口に着いた。寺の解説文によると、
「如意寺は、今から千年ほど前、願西上人によって開かれたとされる天台宗の古刹で、地蔵菩薩を本尊としている。12世紀頃の古文書に「地蔵堂に土地を寄進する」という記述があることから、その頃に寺観が整いつつあったよう。寺院所蔵の文書群には、中世から近世にかけて隆盛を誇った当寺の姿が生き生きと示されている。そして、幸運なことに、このことは境内に残る三棟の中世建築によって今もはっきりと感じることができる。今は礎石のみを残す本堂を中心に西に阿弥陀堂、東に三重塔、南に文殊堂と建物を配置する方法は、近隣の太山寺(隆君註:国宝本堂を有する有名古刹)とも共通し、天台宗独自のものであると云われる。」
〇手入れが行き届いた清楚な境内の美しさと・静寂に包まれた雰囲気に心を洗われて、つい時を忘れて過ごしてしまう。
 いきなり重文・文殊堂が現れる。堂の背後を見ている。懸崖造り様になっている。
 ↓文殊堂・重文
「懸造様の高床を持つ建造物。建立年代は応永13年(1406)の罹災後と考えられ、1453年とする説が有力。」

 ↓文殊堂の左手の丘の上に三重塔・重文が建つ。
「建立年は至徳2年(1385)。軒の出が美しい純和様の建造物で、三層各階には、それぞれ大日・釈迦・多宝如来を安置して法華経と密教思想の融合を表している。」




 ↓三重塔が建つ丘の上から文殊堂を見る。

 ↓三重塔から左端・文殊堂、正面奥の常行堂(阿弥陀堂)・重文を見る
 ↓本堂跡を見る。中世に滅失してから再建されることはなかったらしい。

 ↓本堂跡の礎石が見える

 ↓本堂跡から文殊堂を見る
 ↓本堂跡に立つと、右手に重文・常行堂(阿弥陀堂)が見える
「常行堂(阿弥陀堂)は、常行三昧という天台宗の重要な修業のためのお堂で、阿弥陀如来を本尊とする。院政末期(12世紀末~13世紀初め)に建てられた市内最古の建造物。本尊阿弥陀如来も建物と同じ時代に造られたが、このように建物と仏像が造られた当時のまま共に伝わっていることは珍しく貴重な文化財。」





 ↓阿弥陀堂から三重塔と文殊堂を見る
 ↓本堂跡から三重塔と文殊堂を見る
 ↓本堂跡から三つの重文堂塔を見る。右端が常行堂(阿弥陀堂)
 ↓本堂跡から見た左・文殊堂、右・阿弥陀堂
  ↓如意寺を去るに当たって振り返ると、文殊堂と三重塔が見えた
〇如意寺は、その境内の清楚な美しさと静謐な雰囲気に魅せられて、それらを味わうためにまた訪れてみたくなる寺院。

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