2011年6月13日月曜日

6/13(月) 週末旅行の報告

先週末・金曜日、事務所の山崎さんが「また週末ですねぇ」と言って吾輩の目をチラ見した。目が悪戯っぽかった。旅費を支給してくれるつもりだな、言わずとも、と思ったら案の定千円札で20枚呉れた。彼も人間が大分出来てきたf^_^; もっとも週末の天気予報は好くない。特に西日本が悪い。東にするかな、やっぱり西に向かうかな、と迷いながら土曜日の朝を迎えた。さて出発しようとセレナを出したら途端に小雨がフロントガラスを濡らしだした。幸先悪過ぎと思い、セレナをまた車庫に戻して事務所に上がり旅行記録の整理をした。昼食は久し振りに能登島大橋を渡り「海とオルゴール」で摂った。雨の気配は去っていたので能登島から京都に向けて出陣することに。もう午後2時近かった。こんな半端な時間では今日は只管セレナを走らせて京都に近づくだけのこと、そう思ってハンドルを握っていたら、丁度間に合う日程が閃いた。越前勝山・平泉寺白山神社の苔の様子を見に行くこと。春に見に行ったら、今冬の大雪により落下した杉の枝葉で、境内一円の杉苔の絨毯が見るも無惨に覆われて踏みにじられていた。一見掃除不能、回復不能の有様。その苔の境内の様子を見に行くことに。北福井ICで下りて勝山へ。到着は午後四時半。夏至も近いというのに雲が重く垂れこめてもう夕暮れのように昏い。境内を上って行くと、苔を傷めていた杉の枝葉は除去されていた。平泉寺白山神社本来の緑の絨毯になるためには、もう一段きめ細かい清掃が要る。それと梅雨を経過して夏を迎える時間。それにしても司馬遼太郎が訪れてきて「苔寺の庭など、この境内の苔と比べたら問題にならない」と評した広大な領域に展開された美しい苔の大絨毯を手入れする人達は一体何処の何者だろう。この疑問はここを訪れる度に浮かぶのだが、今日ほど疑問に思ったことはない。帰り際、一の鳥居近くの石段で、二人連れの学者風の男性参詣者に出会った。吾輩は「ちょっとお尋ねしてもいいですか」と切り出した。50過ぎの若い方の人が「何でも訊いて下さい」と答える。単なる参詣者ではない。吾輩は疑問を端的に説明した。春先に訪れた時に存在したあの絶望的な量の杉の枝葉の落下物、あれを掃除してここまで回復させた人達は何処のどなた達かご存知ないですか。すると50過ぎの人は、自分の鼻先を人差し指で指しながら「ワシ、ワシ」と言って嬉しそう。よくぞ訊いて下さったと言わんばかり。「わたし達ですか」と複数形の確認を入れると、「いや、ワシ」と単数形で断ずる。「氏子はいないんでしょう」「そう、いない」。「村の人達も手伝ってくれるんですか」「年二回奉仕してくれる。ただ、今年は大雪のせいで例年の50倍もの枝葉が落ちた。村の人達も戦意喪失で余り頼りにならなかった。女房もあんまり手伝ってくれない」。村の人達というのは多分「神社奉賛会」の人達。どうやらこの人がほぼ一人でこの大境内の、苔寺・西芳寺の庭苔よりも美しい杉苔を手入れし護持しているらしい。とすれば、この人が「平泉(ひらいずみ)家」の当主ということか。平泉家というのは明治以降も人材を輩出してきた。東大の国史学教授だった人に平泉澄(多分当主)がいた。その息子の平泉渉は外交官・政治家で科技庁長官・経企庁長官。その人はかなり登った石段の上から声を掛けてきた。「七月にまた清掃します。これに懲りずにまたお出で下さい」そして「あなたは何処から来られたんですか」。この後、福井県南条SAに入ったのが午後七時。土曜日はここで宿泊。道中、福井平野で丸い夕日が赤々と沈んで行くのを見た。明日、西日本も晴れるのかなぁと思った。

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