〇古代神話の国・出雲から、銅剣・銅矛・銅鐸が一つも発見されないのは怪訝だった。それが、荒神谷遺跡から銅剣が358本も発見され、銅鐸・銅矛も併せて発見されて一大センセーションを巻き起こした。
〇そして荒神谷遺跡からほど遠くない「加茂岩倉遺跡」から銅鐸が39個も発掘されて古代出雲国に対する歴史認識に決定的な変革が加えられた。
↑加茂岩倉遺跡の発見は、山間の道路新設工事中に重機が金属片を鉄爪に引っかけたことから始まった。「水田の畔に並べられた銅鐸 崖面を掘削した土砂とともに崖下へ落とされた銅鐸の一部。大量の土砂の中から見つかった銅鐸は発見者(重機操縦者)によって水田の畔に並べられた。重機の衝撃によって割れた大きな銅鐸の内側に、入れ子として納められた小さな銅鐸が見える(左端のヤツ)」
↑この段坂を登った岡のうえに、銅鐸が埋められていた穴がある。
↓銅鐸が埋められていた岡の上。
↓加茂岩倉遺跡が一般公開された日の航空写真。遺跡・丘の上まで延々と好事家の列が続く。如何に衝撃的な発見であったかを如実に示す。
↓遺跡から歩道で繋がる展示館。
↓加茂岩倉遺跡出土の銅鐸全39個。一所懸命に数えてみるが37個ぐらいでどうしても39個にならないf(-_-;)
↓加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸。34個だけ並んでいる。出土全数は39個のはず。
2012年7月20日金曜日
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