2012年12月26日水曜日

11/26(水)徳島県鳴門市・道の駅「第九の里」に着いた。

晩八時、鳴門市街から吉野川を少し遡った所にある道の駅「第九の里」に着いた。ドイツ館に併設されている。第一次大戦時のドイツ将兵捕虜をここに収容していた。当時の日本陸軍は戦時国際法規期を遵守し、地元民もドイツ捕虜と友好関係を築いた。その当時の友好関係を今も忘れられずに遂に記念館を建設した。もう遅いし、ここはまた阿波の国のまほろばなので、ここに野営することに。早速期待せずにインターネットにダイアルアップ接続を試みたら何と一発で繋がった。周囲は真っ暗闇で人家の灯りが見えないのに不思議。近くのドイツ記念館にかなり強力な送受信アンテナがあるんだろう。ここが阿波の国のまほろばというのは、この道の駅の直ぐ東に四国八十八箇所札所霊場第一番「霊山寺」があり、直ぐ西に第二番「極楽寺」がある。直ぐ北に阿波の国一ノ宮「大麻比古神社」があり、近くに「土御門天皇火葬陵」「阿波神社」がある。もしも、万一、インターネットに接続したら、先ず報告したかったのは今この道の駅に居ること。昨晩、石垣島から伊丹空港に降り立った。それから関空傍の関西エアターミナルワシントンホテルに車を預けて出立していたので車を取りに関空に戻り夜十時半にワシントンホテルに辿り着きそのまま泊まって疲れをとった。今朝九時、女房・おばあちゃんとホテル駐車場で別れた。ボクは南下し和歌山市街地に入った。関空から和歌山市は近い。和歌山市街で探訪した所は、「紀州東照宮」「和歌浦天満宮」。いずれも楼門に至る高い石段が45度の角度でそそり立っている。国重要文化財建造物が並び建つ。一見に値する。雑賀﨑を巡る山岳道路どころでないクネクネ道を走ってみた。「雑賀」の名が残っているんだからこここそ戦国時代に信長を大いに悩ませた鉄砲集団「雑賀衆」の本拠地と観たから。道の有様を見ても分る通りここは前が岩山の連なりで背後が岩礁という難攻の地。普段は漁業に従事していたものか。穏健な百姓の気風の地ではない。雑賀﨑を北に回り込むと紀州徳川藩の海岸別荘「養翠園」があったので探訪。海水を引き入れたという池を巡った。それから和歌山港の南海フェリーキップ売場に着いたのが午後3時。4時半出港便の受付は4時からだというので売場前の駐車場でウトウトしてハッと目を覚ましたら午後4時。定刻に出港。意外だったのは、ボクはローカルなフェリーボートと思い込んでいたんだが、それが立派な大型フェリー。国道フェリーというヤツ。このフェリーボートに乗って徳島港に午後6時35分に新聞・TVを見ながらちゃっかり到着したという訳。料金は確か8,300円。阪和道・紀ノ川SAで入手した一割引き券を呈示したので割り引かれている筈。セレナの長さが4m60cmもあることを知って驚いた。車長によって料金が違う。信じられないので車検証で確かめたら4m59cmあった。和歌山から徳島へ海峡を一跨ぎして来たというたったこれだけのことを書きたかったらこれだけの文章になった。

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