2013年7月4日木曜日

〇「元伊勢・内宮」「皇大神社」

〇参道沿いに細長く延びた集落がある。門前町らしいが、今は寂れている。その集落の端にかかると内宮に至る石段がある。
 「元伊勢内宮・皇大神社」




 石段を延々と登る。途中に大木が生えている。↓「麻呂子親王御手植えの杉」と表示してある。親王は三本の杉を植えたそうだが、今はこの一本しか残っていない。
 「真名井の池」
 ↓御門神社。元伊勢の厄神さんとして知られている。普通の神社の祓戸神社に相当するか。
 多分、親王御手植え杉の一本の切り株から再生した杉苗。
 やっと境内に辿り着く。
 多分、参集殿or絵馬殿or神楽殿。元伊勢外宮にあった建物とほぼ同じ規模・構造。
 「元伊勢内宮・皇大神社。御祭神・天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)。御由緒・人皇第十代崇神天皇39年(紀元前59年)に「別に大宮地(おおみやどころ)を求めて鎮め奉れ」との皇大神の御教えに従い、永遠に御祭する聖地を求め、皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)御杖代(みつえしろ)となり給い、それまで奉斎されていた倭の笠縫邑を出御されたのが、今(平成2年)を去る2049年の遥かな昔であった。そして、まず最初にはるばると丹波(のちに分国、当地方は丹後となる)へ御遷幸になり、その由緒により当社が創建されたと伝えられている。皇大神は4年ののち倭へお帰りになり、諸所(20余か所)を経て、54年後の人皇第十一代垂仁天皇26年に、伊勢の五十鈴川上(今の伊勢神宮)に永遠に御鎮座になった。しかし、天照皇大神の御神徳を仰ぎ慕う崇敬者は、ひき続いて当社を伊勢神宮の元宮として「元伊勢(内宮)さん」などと呼び親しみ、今に至るも庶民の篤い信仰が続いている。」
 黒木鳥居越しに拝殿を見る。
 黒木の鳥居
 中央・拝殿
 黒木鳥居の右横に並ぶ末社の列。
 その列の最後に「岩長姫命(いわながひめみこと)社」がある。「天皇神道」の旗が立つ。
 末社の列が、岩長姫命社で直角に折れて境内奥に向かって続いて行く。
境内奥に続く末社の列。
黒木の鳥居の反対側・左側に並ぶ末社の列。
↓龍灯の杉枝
拝殿
拝殿に向かって右の脇殿
拝殿に向かって左手前の摂社
拝殿に向かって左の脇殿
左側境内の摂社
拝殿内部。石の間がなく、いきなり本殿に繋がる。
龍灯の杉。樹齢2000年と言われている。
半ば枯死している。
拝殿右脇社
拝殿から黒木の鳥居を見る。鳥居の外に参集殿が見える。
拝殿左脇社
本殿
境内左端に並ぶ末社の列。
本殿の右横から後ろに回り込む末社の列。
本殿真後ろの末社の列。
本殿を背後から見る。
本殿
本殿に向かって左側境内。
左側境内の末社の列。
左側境内が膨らんで神苑に繋がる。「さざれ石」がある。
神苑
神苑を取り囲むようにして並ぶ末社の列。

左端・本殿。その前に左脇社と拝殿が見えている。
黒木の鳥居と境内前方の末社の列。
龍灯の杉・二本。奥の白い杉が樹齢2000年と言われる枯死寸前の神木。
〇このあと、天の岩戸神社を探訪する。

0 件のコメント:

コメントを投稿