7/6(土)午前10時過ぎ七尾発。飛越国境・道の駅細入を過ぎて直ぐの所に手書きの案内板が出ていて通る度に気に懸かっていた滝がある。「常虹の滝」。読みは多分「とこにじのたき」。どう足掻いても今日中に木曾路で探訪できるのは奈良井宿までと決まっているので、道中気前良く・普段無視して通り過ぎている観光スポットに立ち寄ることに。この滝、二つの川の合流地点にあり・二筋の滝が架かっていた。一筋は上に「不動滝」下に「夫婦滝」が連なっている。もう一筋は「常虹の滝」で高さがある。滝の前に流しソーメンの小さな店があるが、客がなかなか入らない。そこから猪谷(いのたに)という越中側の在所に「猪谷関所館」があるというのでそこも訪れた。丁度近くの茂住(もずみ)鉱山の所長を昔していた老人の講義がなされていたので拝聴した。結構面白かった。そこに方鉛鉱という鉛含有率40%という鉱石が展示してあったので持ってみたが、小玉スイカ位の大きさなのに持ち上がらなかった。神岡鉱山から高山ルートと別れて・上宝村ルートに入り、平湯・阿房トンネルを通り・上高地入口から梓川伝いに谷を下って松本盆地に出る手前、羽田(はた)で右折し山形村を経由し・アルプスサラダロードを走って塩尻を抜かして洗馬(せば)という在所から木曾路に入った。贄川の関所は通り越してしまったので明日に回し、奈良井宿に向かった。道の駅・奈良井に着いた時はもう五時をかなり回っていて観光客は誰もいない。奈良井宿を訪れたのはこれで三度目かなぁ。「木曾の大橋」を渡り、旧中山道・杉並木の探訪から始めた。ここは初めて。道幅は1m余で馬のすれ違いもできまい。中山道は基本的には人の脚で通行する道だったろう。奈良井宿は今も本物の重要伝統的建造物群で全街並構成されている。奈良井千軒と称された江戸時代の面影が今も色濃く残されている。写真を撮りながら宿場の端から端まで歩いて行ったら外れの「鎮神社」に辿り着いたところで完全に日暮れ。夕暮れた奈良井宿の家並の中を来た道を独りで戻ったが、いやぁ・旅情があったの何のって。灯りまで江戸時代風の行燈型で・光は橙色の温かみのある色。往時の宿場街時代、この時間帯には宿屋のあちこちから三味の音が聞こえ活気のある人声が溢れ返っていたことだろう。今は人っ子一人通らず・物音一つしない。わずかに幾つかの古屋が電燈を点けて道を照らすのみ。さてボクは道の駅・奈良井で泊まろうと思ったが、電波が飛ばなくてプログに接続しないので次の道の駅・楢井へ。ここも不可で・次の道の駅・木祖(藪原)まで来てみたがやはりダメ。木曽路はいつも電波が飛ばない。この木祖村(今は平成大合併で町か)・藪原の道の駅は、鳥居峠の真下をぶち抜いた鳥居トンネルを潜った所にあるが今夜はここで泊まることに。電波を求めてこれ以上進むと明日の旅程で逆戻りが起きる。今回の旅行でハッキリ分ったことがある。この鳥居峠こそが信濃川と木曾川の分水嶺。奈良井宿では川の水は北へ・塩尻方面に流れ、鳥居峠を越した藪原宿では川は南流し・木曽川と名付けられて中津川方面に向かう。
7/7(日)の記事は、もう疲れたので明日に回します。
木曽福島関所、木曾の桟道、妻籠宿、馬篭宿、贄川関所。
2013年7月8日月曜日
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