2017年6月2日金曜日

〇5-28(日)和歌山県海南市下津町「福勝寺」重文本堂・求聞持堂・鐘楼

〇福勝寺には重文が本堂と求聞持堂(ぐもんじどう)の二棟があるというので是非探訪しようと思っていた。下津町の山の一車線道路を登って行く。駐車場から石段を昇る。
 ↓重文・本堂






 ↓本堂に居る住職さんが写っている。この住職さん、お堂の掃除をしていて、ボクが石段を昇り切った所で目が合い「どこから来られましたか」と問い「石川県です」と答えると感心して、それから会話が始まった。人相と人柄の好い住職さんだった。話によると、福勝寺は高野山真言宗の寺、下津町に一寺だけ、この辺りは浄土真宗の寺が多い」ボクが言ったことは「高野山のお膝元のような地域なのに意外ですね、真宗が多いのは和歌山の雑賀鉄砲集団が石山本願寺に籠って織田信長を苦しめた地方だから分りますね」
 ↓本堂外陣
 ↓内陣の厨子とお前立ち千手観音像。住職曰く「寺の文献に載っている御本尊の千手観音菩薩像、大日如来像その他数体の・いずれも平安(藤原)仏が盗難に遭って、無い」。ボクが「今も存在していれば重文仏像ばかりですね」と云うと頷く。今は新しい御本尊が厨子の中に安置され、お前立ちも新しい仏像。住職曰く「この寺は檀家が一軒もありません、それでいて村の人達が支えてくれています。それぞれ真宗寺院等の檀家門徒なのに」
↓左・本堂、右・求聞持堂、いずれも重文。本堂に江戸時代初期に求聞持堂が継ぎ足された。


 ↓求聞持堂・重文
 ↓求聞持堂内の厨子。紀州徳川家の葵紋が見える。本尊は虚空蔵菩薩
↓鐘楼。これも重文だそう。求聞持堂と同時期に建てられた




↑↓裏見の滝。芭蕉が探訪した日光の裏見の滝と同じ仕組み。滝の裏側に籠れる。
 住職の話では滝を止めてあるのだそう。ミカン畑の用水のため。
 ↓それが、午後から滝に祀ってある不動明王の前で護摩を焚くことになったので滝水をながすことになった。住職の話では今も修験者の人達によっても寺は支えられているらしい。本堂に向って左側に滝がある


 ↑↓天狗の手形。本堂の滝側の縁にある


 ↓境内から見たミカン畑の山々
 ↓境内の入口に「名号堂(みょうごうどう)」がある。蓮如上人が道中この寺に寄り《六字名号》を認めて残したという。六字名号はこのお堂に安置してあったが、今は博物館に寄託してあるそう。このお堂は古くなり入るのが危険なので立入禁止になっている。住職は、このまま立ち腐れさせるしかありませんと悲しげに語った。
 ↓福勝寺からさらに峠道を登り熊野古道・藤白峠に在る地蔵峰寺(じぞうぶじ)を目指している途中に振り返ると山の中腹に福勝寺が見えた。写真の真ん中の白い小さな点の様な屋根がそう。


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