2017年6月7日水曜日

〇6-3(土)京都府大山崎町「天王山・自玉手祭来酒解(たまでよりまつりきたるさかどけ)神社」重文神輿庫

〇17士の墓から水平方向に進むと、三社宮がある。酒解神社が始まっている


 ↓重文・神輿庫。鎌倉時代中期の建立という


  ↓「酒解神社 ‥‥中世には山下の離宮八幡宮の勢力が強大となり、同社は山崎山(天王山)上に遷座し、山上の神はやがて天王社と呼ばれるようになり、山も天王山と呼ばれるようになっていった。さて、今日同社には非常に珍しい重文の神輿庫が残されている。一般によく用いられる△形の木を積み上げた校倉形式ではなく、厚さ約14cmの厚板を積み上げた板倉形式で建立されている。この板倉形式の遺構は非常に少なく、重文に指定されているものでは、奈良市内の春日大社にあるものが唯一であるが、それは江戸時代のもので新しく、現存する板倉としては当庫が最も古く非常に貴重な建造物である」
 ↓本殿を望む
 ↓本殿


 ↓本殿裏に天王山山頂への登山道がある
 〇下りは一目散だった。分岐を間違えないように注意して降りたが、間違った。下りた所は山崎聖天。



 ↓結局天王山登り口まで来てしまった。
 天王山登り口から宝積寺まで登り返すことになったが、これが急坂の長い登り道。行きはハリアーで一気に登ったからよかったものの、徒歩で登り返す段になると疲れ果てているは夕暮れは迫るしで大変辛い思いをさせられた。全部ボクのせいなんだが。それはとにかく天王山に登り、目的の自玉手祭来酒解神社の重文神輿庫探訪も果たして晴れ晴れとしていたのも事実

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