2018年6月29日金曜日

〇《イザベラバードの旅》5-3(木)西会津街道の秘境の宿場「大内宿」に到達。伝統的建造物群保存地区、それが奇蹟的に現代まで残っている。

〇とうとう念願の大内宿にやって来た。朝まだ早いのにもう駐車場が一杯。山奥深くなのに人気がある。




↑「下郷町大内宿TEL 0767-52-0682手雨滴建造物群保存地区 大内宿は会津若松と日光今市を結ぶ南山通り(会津西街道)の宿駅の一つである。この南山通りは、会津藩が江戸時代初期に会津と江戸を結ぶ幹線道路の一つとして整備したもので、廻米などの物資の輸送で栄え、会津藩主も参勤交代の際にこの道を利用するなど重要な街道であった。大内宿が宿駅として整えられたのは十七世紀中頃と推定され、本陣・脇本陣がおかれた。‥‥‥道路の中央には広い溝が設けられ、宿場の用水路として利用されたが、明治19年になって埋め立てられ道路の両側に側溝が掘られ洗い場を設けるなどの変遷があった。この町並みは、会津及びその周辺地域に見られたこの地方の宿場形態の典型的なもので、その多くが失われた今日もなお往時の姿をよく残している。‥」






 ↑↓高倉神社、古峯神社へ行く






↑↓「大内宿町並み展示館(大内宿本陣跡)




街道の両側に移された用水路






↓茅葺家屋の背後に土蔵を有する構造の家が多い。
土蔵。玄関も後ろに開いている
↓唐辛子の玩具を売る店


 〇「名主阿部家」




↓「阿部家・美濃屋 阿部家は、江戸時代大内宿で名主として栄えた家です。江戸末期には没落した本陣に代わり、参勤交代の時の大名の休憩宿にもなっていました。‥‥‥明治になると運送業、旅館業、郵便局などを営んでいましたが他の地域に国道が開通するとほとんど人の往来がなくなり林業や農業などで近年まで生活を営んでいました。
 また、明治の初期に外国人の女性としては初めて東北地方と北海道を旅行して、「日本奥地紀行」という本を出版した英国の旅行家、イザベラ・バードが旅行の途中で大内宿に立ち寄った際に阿部家に宿泊したことがこの本に書かれています。」

↓直線で北街道が突き当りとなる家。食堂をやっている。街道は右に折れて細くなる。
↓突き当りの家の前から見た大内宿。
右折して続く街道
〇大内宿を眺望できる高台に登る。子安観音堂がある


↓子安観音堂前から見た大内宿。


↓以下、戻り道。









0 件のコメント:

コメントを投稿