2011年7月31日日曜日

7/31(日)観心寺本尊・国宝「如意輪観音像」

観心寺発行A4版写真より引用。この如意輪観音像の美しさには驚かされる。国宝第五号だそう。毎年四月一七、一八日に開帳される。一度はお目に懸からねば。





7/28(木)眼科の玄関先に南洋の花が咲いている。

女房が訊いた。「お父さん、ナントカの花が咲いたの見たぁ」。気が付かなかったので翌日眼科の玄関先を見たら咲いていた、ナントカの白い花。女房は確かに花の名前を言ったんだが、吾輩のボケ頭にはハッキリしない。これって珍しいんでしょう。誰か知っている人がいたら教えて下さい。 ついでによく見ると、ブーゲンビリアも咲いている。


ハイビスカスも咲いていた。





女房は南方系の花が好きなんだなぁ。もう数年間、週一で練習しているのがフラ→フラダンス。月曜日の晩、眼科の待合室が踊り場・練習場と化している。女が三、四人溜っている模様。
※8/1(月)朝、出がけに女房に例の花の名前を訊いた。答えを何度も口ずさんで事務所に来てパソコンを立ち上げお気に入りのブログに目を通してさて「流浪の画家」ブログに花の名前を報告しようとしたら、もう出て来ない。仕様がないなぁ。「プリポメイア」と聞いたことにしておこう。ハワイの花だそう。やっぱりフラや。







7/31(日)大阪府河内長野市まで足を延ばした。千早赤坂「観心寺」。奈良市「十輪院」

今朝の起床は午前五時半。出発は六時半。生駒山地(信貴山の麓)を越えて大阪府に入り、柏原・羽曳野・富田林・河内長野と南下して千早赤坂の山中に入った。そこに「観心寺」がある。八時前に着いた。門番がいないので拝観料300円を箱に入れて入山。金に齷齪していない雰囲気がそこはかとなく漂っていて好感。ここには国宝・本堂に国宝・如意輪観音像が秘仏として収まっているが(毎年四月十七、八日に開帳されるというからお目に懸かれる可能性はある)、その他に重文級の仏像が両手で数えねばならぬほどある。それが「霊宝館」に収蔵展示されているが、無料なんだそう。霊宝館に入るのは最後の楽しみに取っておいたが、ここも開扉されているのに番人がおらず好きなように堪能できた。御満悦。この寺は単なる田舎寺ではない。後村上天皇陵が裏山にあり、楠正成の首塚もある。南朝と深い縁がある。大寺。国宝・本堂をはじめ境内一円に散開する諸堂宇は見応えがする。気分好く満足して観心寺を後にしたのが午前十時過ぎ。元来た道を辿って奈良市内の「十輪院」へ。元興寺の近く。ここは本堂が国宝。到着が十一時過ぎ。この寺も金に執着していない雰囲気。駐車場は無料。山門を潜り本堂前に立っても無料。広くない境内を一巡しても無料。料金を徴収するシステムがない。国宝・本堂は大きくない。また屋根は低いこしらえで仏閣というより住宅風。ここも気分好く後にして、家路に就いたのが午後十二時半頃か。帰路睡魔に襲われたので名神・秦荘PAに初めて入った、そして寝た。昼寝した後は運転が順調で七尾の自宅到着が午後六時十五分。

2011年7月30日土曜日

7/30(土) 知らなかった国宝探訪へ。大笹原神社、海龍王寺、霊山寺、長弓寺

吾輩は午後五時半に奈良県の道の駅「大和路へぐり」に着いた。「へぐり」は平群。古代豪族が蹯踞した所。この道の駅、吾輩の定宿化している。斑鳩・法隆寺に近い。道中午後四時頃雷入りのもの凄い土砂降りに見舞われて絶望しもう家に帰ろうかと思ったけど、今はケロッと止んでいる。低気圧と前線は去ったらしい。七尾発は今朝の四時。福井辺りで睡魔が寄って来たので、北鯖江PAで寝たら八時40分になっていた。2時間以上眠った。京都・奈良の国宝級文化財の建造物・彫刻はあらかた見学してしまったので、今回は予定を立てて臨んだ。知らない、あるいは見落としている国宝に絞って探訪することに。いずれ全国の国宝の建造物・彫刻(主に仏像)は全部探訪することになる。今日探訪した国宝建造物。①滋賀県野洲市大篠原の「大笹原神社・本殿」。旧郷社級の神社で本殿は小さいが、造形が見事で装飾性にも富んでいる。京都北山の金閣寺とほぼ同時期に建立された。②奈良県法華寺北町の「海龍王寺・五重塔小塔」。法華寺・国分総尼寺の隅寺(すみでら)とも言われた。国宝小塔は元興寺の国宝・五重塔小塔と同様のものと思えばよい。要するに模型。本堂は重要文化財。仏像も優れている。建造物・仏像共に秋篠寺級。③奈良県中町の「霊山寺・本堂」。霊山寺は商魂がある。非難して言う訳ではない。弁財天堂の真裏に「白金堂」と「黄金堂」が並立しているのには驚かされる。それと、国宝・本堂とその中の仏像の古さの対比が極端過ぎて戸惑わされる。絶妙で面白いかも。奥の院まで1kmとあったのでそちらは遠慮した。どうせ坂を登らされる。④奈良県生駒市の「長弓寺(ちょうきゅうじ)・本堂」。この寺は現代的には風変わり。四つの塔頭寺院(法華院、円生院等)が力を併せて国宝・長弓寺本堂を守り維持している。長弓寺自体の庫裏・寺務所は無い。ここの本堂は美しい。本堂を後にした途端、雨に降られた。明日の予定候補寺社も一応七尾で並べてみたんだが、馴染みのない社寺名が殆どなので頭の中が朦朧としている。ボケて記憶力が劣化したのも影響している。河内長野市の「観心寺」から始めようと思っていたんだがどうなることか。

2011年7月29日金曜日

5/1(日)金刀比羅宮大書院・円山応挙障壁画

案内パンフから引用 虎の間

山水の間

七賢の間

鶴の間

上段の間

以下、絵葉書から引用







2011年7月28日木曜日

5/1(日)金毘羅大芝居・金丸座 重文

金丸座・重文 木戸を潜って入った所

桟敷席

天井、ブドウ棚と呼ばれる。花吹雪を散らせる。提灯は「顔見世提灯」。歌舞伎の家元の家紋入り。



花道



後ろ二階席

空井戸。奈落に通じており、ここから出入りしたり、早変わりなどに使う。左側は花道。舞台の付け根の花道の出っ張り。

花道と空井戸が見えている

回り舞台

「セリ」。回り舞台の中にあり、奈落と舞台を上下する。







舞台裏



↑囃子方の部屋  ↓衣装方の部屋 舞台裏にこの様な部屋が幾つも並んでいる。

部屋の前の廊下 奈落・地下にある回り舞台を人力で回す装置

後方二階席 下足場

木戸番

木戸口

5/1(日)「金刀比羅町公会堂」

これは、金刀比羅町公会堂。金刀比羅町のかつての繁栄ぶりが偲ばれる。

2011年7月26日火曜日

「金刀比羅宮」(3)

本殿境内に上がった。海抜251m。眼前に金刀比羅本宮・拝殿が展開する。祭神は「大物主神(おおものぬしのかみ)。 境内から見下ろす

金毘羅さん・拝殿

神撰殿

本宮本殿の屋根

拝殿

神饌殿

拝殿正面。菊の御紋章が目立つ。この菊の花弁の数が皇室の菊の御紋章の花弁の数と違うらしい。どう違うかは忘れた。

神楽殿

神木・楠方面から見た拝殿

向かって左へ回廊が延びて行く

「三穂津姫社(みほつひめのやしろ)」。大物主神の后。

回廊の途中に、その背後に神庫が二棟

本宮本殿の横手が見える。側面に絵が描いてある。





三穂津姫社

御炊舎。三穂津姫社の前にある

三穂津姫社・拝殿

本宮本殿とその傍から延びる回廊。三穂津姫社に通じる。

三穂津姫社・拝殿正面

三穂津姫社・拝殿

絵馬殿

絵馬殿の中に見える船体は、太平洋単独横断の堀江謙一氏の愛船「マーメイド号」

下る。昇りと別のルートを辿って旭社まで。 この壁のように屹立する大きな石碑に刻されている「金一封」とは具体的に幾らだと思うか。これまで見てきた他の中小の石碑には金額が具体的に書いてある。 吾輩の直感では億単位。