日和山からは、「こがね花咲く」金華山は見えない。見えるように表現したのは、芭蕉の思い違いか・お得意の創作。「尾ぶちの牧」「まのゝ萱はら」などは、旧北上川の向こうに見える山並みの中にあったらしい。奥州馬の官営牧場、萱の特産地だったろう。「袖のわたり」のことをボランティア・ガイドの人に訊いたら知っていた。石ノ森章太郎記念漫画館のラグビーボールの様な銀色に光るドームを指さし、あのドームの傍に見える橋の少し上流のあたりだが、口で説明していても分らないからあのドームの辺りでまた人に訊いてくれと教えられた。これで「袖のわたり」を get と喜んだ。安直だった。
↓旧北上川河口。大津波の痕跡が残る。
↓旧北上川。津波は、橋の上流あたりには大した被害を与えなかったと地元の人の言。
↓松尾芭蕉句碑 山頂にある鹿島御児(かしまみこ)神社の鳥居を潜ったあたりにひっそりと立っている。
1748年(延享5年)建立で風化している。
《雲折々人を休める月見かな 芭蕉》
〇西行の歌
《なかなかに時々雲のかかるこそ
月をもてなすかざりなりけり》
月をもてなすかざりなりけり》
を踏まえて作られているそう。
↓ボクの好きな石川啄木の歌碑を選んだ。
《砕けてはまたかへしくる大波の
ゆくらゆくらに胸おどる洋 啄木》
↓芭蕉と曾良の銅像。奥の細道紀行300年記念ゆくらゆくらに胸おどる洋 啄木》
↓宮沢賢治文学碑
↓鹿島御児神社。延喜式内社
本殿を喪失している。
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